kizuatoの行方
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放射性物質の影響について、原発事故以来、いろいろ言われている。
TVやネットでいろんな情報が出ていて、正直、どれを信じて良いかわからなくなってくる。

先日、とあるお母さんと話をした。その人は、東北産の野菜は買わないとか。東北に住んでいるのでかなり難しいとは思うのだが、冷凍食品なども利用しながら食べているという。
驚く私に、「そこまでやる?」という思いを見たのだろう。
彼女は続けた。

やりすぎって言う人もいるけど、私はどんなに責められてもいい。
ただ、子ども達を守りたいだけ。
30年後、この子達がガンとかなったら、かわいそうだから。
もう、政府が安全って言ってても信じられないもの。

彼女の選択が正しいのか間違っているのかは、わからない。
でも、「誰に責められても・・・」と必死で語る彼女に、
私はアレルギー反応を起こしていた。

「子どもを守りたい」という親の思いによって、子どもの生活が変わってしまう姿。
親は自分が絶対的に正しいと思って、誰がなんと言っても聞き入れようとしない。
子どもを守るということ、子どもを幸せにするということ。
それは、親の思いの強さだけではできないことなのに
強く思いさえすれば、出来ると思い込んでいる親。
そのせいで、子どもが苦しんだとしても
将来のためにと頑なに信念を貫く親。

かつて見た、JWの親たちと同じ匂いがした。
彼女が宗教に出会ってしまったら、誰も止められないんだろうなと思った。
そんな親が、今もいっぱいいるのかな。





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3月の地震以来、連絡の取れない友人がいる。
私達は1歳違い、彼女の子どもと我が家の長男は同い年。
ブログを通じて知り合ってメールをやりとりしていたのだが、
実際に会ったことはなかった。
私が子どもが小さく身動きが取れなくて、会うことは実現しなかった。
でも、いつか会いたいねって言ってた。
いつか会えると信じていた。

明日が来るかどうかは
本当はわからないことなのに
私達は勝手に明日が来ると思い込んでいる。
1年後も、10年後も、30年後も
たぶん来るだろうと思い込んでいる。
人生はまだまだ長いと思っている。
だから、いろんなことを先延ばしにする。

彼女に、強引にでも会いに行けばよかったと思った。
メールのやり取りがもどかしくて直接電話しようかな?と思った夜、
思い切って電話だけでもしてみれば
声を聞けたのにな、とも思った。

やりたいと思ったことは
思い切ってやらなきゃダメだね。
後になって思ったって遅いんだからね。




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年末年始にいろいろTVを録画して、
子どもが寝た夜に観たりしている。
その中で、単発モノのドラマがあった。
たぶん、シナリオを公募して
受賞者の方のものをドラマ化したもの。
若者の恋愛を描いたもの。
その中で、主人公の男の子の彼女が
リストカッターだった。

甘えてばかりのずるい女の子なんだけど
リストカットを繰り返す衝動が
ものすごくわかってしまった。
わかるというより・・・蘇ったというほうが正しい。

リスカしたくなる時の、感情の行き場が無い感じ。
切ってしまった時に血と一緒に溢れ出す快感。
ぎゅーっと抑圧された後の開放感のような。
痛みとかはあまり感じなくて、
快感のほうがずっと勝っている。

そして。
取り付かれた。
リスカしたくなる衝動。
禁煙3日目のような、
かなり頑張らないと負けそうな欲求。

切らないよ。

切らないよ、私は。

と言い聞かせながら戦っている。
この数日。

最後に切ってから
10年近く経っているというのに。
依存症の後遺症。


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そろそろクリスマスの準備をする時期になった。
子ども達にも、「プレゼントを何にするか考えてね」と話した。
今年は何をリクエストするのだろう?
まあ、毎年おもちゃだけれど。
最近はゲーム関係が続いている。

おもちゃ、のことに思いが飛んだ。
私がおもちゃを買ってもらったことは、ほとんどない。
経済的に余裕が無かった上に、クリスマスも誕生日もその代わりのイベントもなく、
欲しいおもちゃを買ってもらう機会も無かったし、親から何が欲しいか聞かれたことも無かった。
1度だけ、小学校2年生の時に父親が欲しいおもちゃを聞いてくれて、人形の家のセットを買ってもらったのを今でも覚えている。2歳だった弟は車のハンドルを買ってもらった。
数千円するおもちゃを買ってもらったのは、後にも先にもこれきりだったような気がする。

おもちゃが少なかった分、ひとつひとつのおもちゃに思い入れがあった。
けれど私が小学校の高学年になると、母は勝手におもちゃ類を人にあげてしまうようになった。
我が家に来た、同じ会衆の小さい子にぬいぐるみをあげてしまう。
もう部屋に飾ってあるだけになっていたけれど、小さい頃毎日枕元においていたぬいぐるみがいなくなったのは、ショックだった。
マンガ入りの料理本も、ある日突然なくなっていた。
母を問いただすと「あんな子どもっぽいの、いらないでしょ」と言われた。
まだまだ作っていない料理がたくさんあって、大人になるまで持っていたかった本だったのに。

あの頃の母は、子どもの気持ちを考えるということが無かった。
子どもに感情があると思っていなかったんじゃないだろうか。
それはJWだったからなのか
母の気質的な問題なのか
その両方なのかはわからない。
でも、あまりに子どもの気持ちに無頓着な母の言動に、何度も混乱した。
けれど、母の勝手さを訴えると
母は「子どもは親に従順であれ」の聖句を振りかざし、
私には感情を飲み込んで「従順」になる道しかなかった。

傷になっているのは
おもちゃを買ってもらえなかったことじゃない。
欲しいものがあるという気持ちを
見ようとしてくれなかったことに対してだ。
大切なものがあるという気持ちを
無視されてしまったことに対してだ。

ずっと
私の気持ちを見てくれる人が無かったんだ。
だからずっと
誰にも愛されていないとしか思えなかったんだ。


おもちゃ一つに
こんなにも暗い気持ちが吹き出してくる。
愛されていないと思いながら育った時間に溜まったどろどろが
いまだに渦巻いているから。



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やらなければならないもの、でないならば
やりたくないことはやらなくていい。
例えば仕事で使う資料なら読まなければいけないだろうが
余暇時間に興味も無い本を読む必要は無い。
見たくないTVは見なくとも良い。
関わりたくない人とは縁を切ってしまえばよい。
寝たくも無い男と寝る必要は無い。

寝たくないという拒否反応までいかないにしても
寝たいという衝動も無いのに
寝てしまわなくていい。

ということが
昔の私はわかってなかったんだな、と思った。
寝て欲しいという男の気持ちが見えると
自分に拒絶の気持ちが無ければ
受け入れてしまっていた。
磨り減るものでもないしねって思ってた。
何も傷つかないよって思ってた。

自分の衝動が無いのに
相手の気持ちだけを汲んで動くことが
すでに磨り減ることなのだと
気づきもしないで。

相手の気持ちを汲んで動くことは
人としての常識だと思っていた。
それはある意味当たっている。
でも、その前に自分の気持ちを汲まなくちゃいけない。
それは「イヤ、じゃない」なんていう曖昧なことではなく
やりたいのか、やりたくないのか、ハッキリした気持ち。
それが相手の気持ちとずれている時は
折り合いをつける作業もしなければいけない。

そうしなければ幸せとは言わないのだ。

自分の気持ちを殺して育った歪みに
ずっと気づかなかった。
JWをやめたのに
どうして幸せじゃないんだろうと思い続けたまま。

あれから10年以上の時間が経って
突然、家の掃除をしながら
あの頃のグラグラ揺れていた私の原因が見えた。

男と寝るのは、何がいけないの?
そう思っていたあの頃の私に
今なら答えを言えそうな気がする。
今ならすり減らしてる場所を指差してあげられる気がする。


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開始:05年01月05日  全記事:81  アクセス数: 8/ 7/ 31680