| 日本のここがおかしい |
記者名:独言子 開始:06年09月01日 全記事:942 アクセス数: 318/ 275/ 204339 |
テレビで貸金業法の強化により貸し金業者の撤退が相次いでいるという報道がありました。その余波で、つなぎ融資先を失った零細業者が沢山居るという事です。貸金業法は高い金利でやむなく金を借りた個人や企業が多重債務に陥り、悲惨な結果を招いているという状況をなくすために、悪質な貸金業者を取り締まるために法律です。金利の上限を下げた事はご承知のとおりです。番組では造園業者が、大きな造園の注文が入ると、庭石とか庭木を仕入れる費用として貸金業者からつなぎ融資を受けていたのに、その貸金業者が無くなったために融資を受けられずに、造園の注文は受けられなくなり、従業員も減らすことになったという状況を説明していました。 この話は、多重債務に陥る悲惨な人達を減らそうとした結果が、零細業者を追い込んでいるという話になり、では貸金業者を生かした方が良いのかとい話になりますが、当然、つなぎ融資で困っている業者よりも、悲惨な状態に陥る多重債務者を救う方が優先されるべき話でしょう。そのどちらも救うべきだという話になると、政府が担保の無い人には金を貸さない銀行に圧力をかけて、つなぎ融資をしてやれという事にするか、公的資金で東京都のように銀行を作るかしかなくなります。 社会主義国にするなら別ですが、社会が全ての困っている人を税金や法律で助ける事はできません。ある大学教授(女性)が困っている人達を映し出した番組の中で、“この人達に最低限の住居や生活を保証するのは国の責任です”と叫んでいましたが、もはや国というブラックボックスは存在しません。助けるなら国民一人一人が増税に応じる必要があるのですが、その事を分かっている人がどれだけいるのでしょうか。 先の造園業者の例を自由主義的な観点から考えると、注文が来て仕入れ代金が払えない、あるいは仕入れ先から支払いを待って貰えないような信用のない業者が存続することに意味があるのかという事になります。注文する方は、他に幾らでもしっかりした業者がいるはずです。こういうつぶれかかった業者が採算無視で注文を受けるから過当競争がなくならず、利益率も低くなり、従業員の雇用や給料の改善につながらないのだという事になります。弱い業者はどんどん淘汰されると、生き残った業者と従業員は安定した利益を得ら、潰れた業者の従業員も吸収されるわけで、規模も大きくなります。規模が大きくなると、生産性や技術の改善をする余裕も出て、社会の発展にもつながります。これが自由主義の立場です。 最近の報道を見ていると、失業者、悲惨な派遣労働者、低い新卒の内定率、疲弊する地方、医療崩壊、授業料を払えない家庭、老老介護の悲惨等々、困窮している人達の報道がこれでもかこれでもかとされています。この報道自体はすべて実際に起こっている事には間違いないでしょう。しかし今の日本はあまりにそちらに目が向きすぎているような気もします。民主党が衆議院選挙の攻勢をかけていた1年前くらいから特にその雰囲気が加速されました。 民主党や社民党のような左派的な感覚からみると、困っている人を救うのが国の最大の目的だという事になるのでしょう。もちろん、困っている人を助けるという事は人道的に立派な事であり、そのこと自体を否定する人はいません。問題は、国がそれだけで回って行くのかという事です。国を引っ張るのは困っている人ではなく、実際には張り切って働いている人達でしょう。才能のある人に自由に働かせれば、日本にもビルゲーツやスティーブジョブズのような人達が出てくるかもしれません。実際、孫正義さんみたいな人もいます。こういう人達が沢山出て、雇用が創出され、福祉のための税金もはらわれるのです。 このように考えると、困っている人を助けるのと、せめて同じくらいのエネルギーで、頑張っている人を援助するような事をするべきではないでしょうか。金の卵を育てないと日本は発展どころか、現状維持さえできません。 政治で大事なものの一つにバランス感覚があるとすれば、民主党が福祉を最大のテーマにする左派思想で有れば、対立する自民党は本来の自由主義を標榜する、アメリカの共和党のような思想で対抗するべきです。自民党まで票目当てで、困っている人だけに目を向けていてはバランスがとれないのです。アメリカなど、オバマ大統領の国民皆保険制度が通りそうにもないのは、共和党が反対し、国民の中でも反対する人の方が多いのです。何で俺達がろくに働きもしない人達に金を出さなければ行けないんだと考える人が多いからです。自民党も福祉に反対したら反人道的と思われて票を失うというような事を恐れずに、小さな政府、官から民へ、市場主義、自由主義、自己責任の原則、そして財政の再建など保守本来の思想を掲げて、民主党と対峙して、国民にどちらを選ぶか問いかけるべきだと思います。どちらの党も八方美人の美人度で対抗しようなどというおろかな考えでは日本は沈みゆくばかりです。本当の二大政党制とは政策の違いを争うのですが、根本的には思想の違いを争うべきなのです。
雑誌の広告の見出しに“年々歳々日本人は信じられない程バカになっている”という衝撃的なのがありました。でもこれを見て、やっぱりそうなのかなあと思ってしまうのは私だけでしょうか。それは別に学力の低下だけのことではありません。日々のニュース見ても、振り込め詐欺で金を取られるお年寄り、投資話でだまし取られる人達、結婚詐欺で金だけではなく、命まで取られる人達。どうして日本人はこんなに騙されやすいのかと思ってしまいます。人を信用し易いと言ってしまえばそれまでなのかもしれませんが、要するに賢くないという事は言えるでしょう。 詐欺で騙されるのは騙された人が被害を受けるだけで、厳しい言い方をすれば自業自得という事ですが、政治家に騙されると、投票した人だけではなく国全体に厄災をもたらします。自民党の政治家の多くは、口利きや賄賂でも私腹を肥やしていたのでしょうが、地元に国の税金や借金で道路や橋を造ってくれるからとよろこんで投票してきました。やっとその腹黒さが分かって、政権交代を望んで民主党政権を誕生させたと思ったら、党首と幹事長がとんでもない嘘つきでした。およそ国の将来を憂えるなどという考えはなく、どうしたら選挙で勝てるかだけを考えて、騙されやすい選挙民に口当たりの良いスローガンを連発するだけの政党でした。 我々はもっとしっかりしなければ行けませんね。どうして日本人はこうなのかと考えますと、どうしても行き着く所は日本独特の集団主義になります。鳩山さんのいう、友愛主義はみんな一緒、すなわち、護送船団方式の如く、低い人にレベルを合わせる風潮です。それは弱者にやさしい美徳には違いないのですが、出る杭を打つというように、一人だけ走ろうとする人を叩く事になります。そこには真剣な競争はうまれません。競争がなければ、あいつには負けたくないというような負けん気が生まれず、負けない為の自己研鑽が起こりません。 学校の教育でも、図抜けている生徒をどんどん伸ばしてやろうという仕組みはないでしょうが、学校ではまだ仕組みがなくても、優れた生徒は自分で勝手に勉強していくでしょう。それを家で勉強するなと止める教師はいません。勉強の出来る生徒はクラスでも通常は尊敬されます。だからまだよいです。でも社会に出るとそうは行きません。一人だけ優秀な人がいると、妬み、足のひっぱり、上司による押さえつけなどが起こります。ですから企業のような社会では、上司の器以上の部下はなかなか育ちません。その上司にも上司がいますので、会社全体が適度なレベルに留まるしかないのです。 このように考えると日本人ほど自己研鑽していない国民はいないかもしれません。唯一流行っているのは資格取得です。資格さえ取れば、これまでの押さえつけている集団から抜け出せると考えているからかもしれません。それ以外は、会社で幾ら、勉強し、研究し、これからはこうするべきだという結論に達しても上司の意向と違えば努力は何の意味もなくなります。上司は自分にとって替わられるのではという脅威をだく可能性もあるのです。かといって、自分の培って来た能力を生かす他の職場が見付かるわけではありません。労働市場が全く流動化されていないからです。アメリカならさっさと自分の能力を最大限に買ってくれる会社を探すのですが。 まあ年寄りの女性が詐欺に騙されるのは、専業主婦として、全く社会経験を持たずに夫のいうがままに生きてきた結果で分かるのですが、こういう人達は問題外のレベルなのでしょう。そうでなく、仕事をしている人達のレベルも低いとなると、自分の能力を高めようと言う自己研鑽の不足、一つの会社、またその一つの部門で一生を終わる、経験不足、集団主義で集団の中で生き場所さえ見つければ、多少バカでも生きていける友愛の社会のせいではないでしょうか。 このように考えますと、日本人のレベルを飛躍的に上げるには、やはり、流動化し、競争社会にしていくしかないような気がします。学校段階から、あらゆる事に自分の考えを持ち、その考えを常に主張し、違う意見を持つ人とは常に討論する習慣を身に付ければ、自分の足りない所に気がつき、それを補うために自己研鑽します。ゲーム好きな事を見ても日本も負けず嫌いなはずですから、社会をそう言う風に変えれば、もっと賢い国民になるはずです。 追記;私ごとですが、自分の会社でも、日本的な集団主義の風潮はありましたが、一人上司であろうとお構いなしに言いたいことをいう人がいました。最初はあいつは生意気だという風に見られていましたが、言うことがポイントをついていることが多く、次第に耳を傾けるようになりました。一方、長いものに撒かれる的な人が、会議などでたまに上司から、君はどう思うんだと言われて、上司の考えと違う事をいうと、やっぱり分かっとらんなと話途中で耳をかたむけなくなりました。もちろん、出世したのは言いたい事を言っていたほうです。的はずれを言っていてはだめですが、言うことがポイントをついていれば次第に無視できなくなる物です。そういう意見を持つためには勿論、幅広い見識を高めるしかないのですが。
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10年03月15日(月)
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貴方こそバカじゃないの? (まつたけ) 10年03月14日(日) でもねえ (しめじ) 10年03月15日(月)
最近では死語になったかもしれませんが、昔は護送船団方式という言葉がありました。護送船団とは戦争中、輸送船のような非武装の船舶を軍艦が護衛するにあたって、何隻、何十隻の船をまとめて出航させ、前後左右を軍艦で護衛するという仕組みです。軍艦の数に限りがあるので、一隻づつ目的地まで護衛するわけには行かなかったからです。護衛される輸送船には航行速度に違いがあります。それぞれが能力通りに航行すればすぐに船団はばらけてしまい、敵の餌食になります。ですから、結局、出来る事は、もっとも遅い船の速度に船団全体の速度を併せるしか有りません。 戦後、日本経済が復興するとき民間会社が輸送船とすれば、護衛の軍艦は政府でした。民間会社は資金も技術も情報も不十分であり、とても独り立ち出来る状態にはなく、政府の護衛が無ければ復興ができなかったのです。その護衛の方式が護送船団方式と呼ばれました。業界を一括りにして、一つの船団とみなして、業界に属する会社に十分な資金、技術、情報が回るように政府が援護したわけです。そのお陰で民間会社が復活して、高度成長につながりました。 しかし、それぞれの民間会社は輸送船と同じく、会社の能力や考え方に違いがあります。所が一社だけが違った行動をとると全体に影響を及ぼすとして政府は、輸送船団とおなじように、みな同じように行動しなさいと指導しました。そうなるように法整備をしたり、さまざまな規制を課しました。大きな武器は行政指導でした。法律はいちいち国会を通さなければなりませんが、行政指導は役所のさじ加減一つです。例えば繊維メーカーが外国から技術を導入する動きを見せると、一社だけ抜け駆けすることになるのはけしからんと通産省が反対します。どうやって反対するかというと、外国に支払うローヤリティの送金の許可をしないとか、そのメーカーの輸入する原料の通関や検査などで嫌がらせをするとかの脅しをかけるわけです。今よりも色々な規制が強い時代でしたから、民間会社を思うようにあやつるなど役所にとっては簡単なことだったのです。終戦後は資源が限られていましたので、実際にはこの方式がベストの選択であったのは認めます。 所が高度成長を達成して、グローバル化が始まりますと、規制に対して国際的な非難を受けるようになり、規制緩和が始まりますと、行政指導も威力をなくします。ここらあたりから官僚の権力がゆらぎ、官僚自身目的意識を失って、天下りで金儲けすること位しか楽しみがなくなりました。もちろん行政指導時代は業界から下にも置かない扱いを受けており、その過程でも不正は有ったでしょうが、国を動かしているという実体が本当にあったので、あまり問題にならなかったのでしょう。首相も吉田、岸、池田、佐藤、福田など官僚出身者が当選3回とかで就任しました。実力次官が立候補してそのまま自民党の幹部になれたわけです。 なぜこんな事を書いたかと言いますと、今の民主党政府が有る意味でいまだに護送船団方式を国全体でやろうとしているのではないかという感じがするからです。子育て支援、高校無償化、農家戸別補償、派遣禁止などのバラマキは生活を守ると称して、国民を均一に管理しようという試みかもしれません。誰も困らないように、一番遅い船に全体のスピードを合わせるやりかたです。公立の学校教育でも、才能のある人を延ばすのではなく、堕ちこぼれを出さないのが基本方針でしょう。中国は色々問題がありますが、政策を変えてから急成長しだしたのは、出きる人から豊かになろうという政策の結果です。それまでは鳩山さんの思想のように、みんな一緒で抜け駆けは許さない、護送船団方式だったのですが、ちっとも発展しないので、市場経済にしたのです。 市場経済に反対し、強い物だけが勝つ社会を非難すると、一見正論に見えますが、牽引役が誰もいない社会になるのです。誰かが走ると、人間とはそれについて行こうとするものです。野茂さんが大リーグに挑戦したら、多くの選手が後を追いました。仮に日本人は大リーグに行ってはいかんと規制していれば、何も起こらなかったし、日本の野球レベルももっと低っく、WBCで連覇するような事はなかったでしょう。 経済では未だに多くの規制があります。弱者保護を謳い文句とする規制もたくさんあります。保育所設置の規制などは、事故を防ぐという名目でしょうが、多くの働く家庭を困らせています。規制を緩和すると確かに事故が起こり得ますが、それは保護者が自分の目で確かめて安心できる保育所を選べば良いことです。規制が緩和され保育所の数が増えると選択肢も増えます。いい加減な保育所は淘汰されます。もちろん雇用や建設需要につながります。混合医療でも解禁すれば医療産業は大幅に拡大し、医療レベルもあがるはずです。これらの規制緩和に反対しているのは実際には既得権益者なのです。 護送船団方式の時代に官僚が巨大な権力を享受したのと同じように、いまだに多く存在する規制で、既得権益を享受している人達がたくさんいます。鳩山内閣は生活優先、弱者保護を隠れ蓑に、結局は既得権益を保護して、国全体を一番遅い人の速度に合わせていこうという政策のような気がしてなりません。出る杭を打つ国では発展は望めないのです。何事も程度問題ではありますが、日本はもうすこしワイルドな国になる必要があると思いますよ。
新聞のコラムに大学の先生だったと思いますが、弱肉強食の競争社会は良くない、人類は助け合って来たからこそ、ここまで発展することが出来たのだからというような事を書いていました。民主党や鳩山さんが主張する市場原理主義への批判、友愛社会の実現などと同じ趣旨の主張なのでしょう。 競争と協力は対立する概念に思われ勝ちですが、それは単純すぎる考え方です。バンクーバーオリンピックはでは多くの競技が行われましたが、全て激しい競争を見せてくれました。そして勝者が讃えられ、敗者は忘れ去られます。これを弱肉強食というのでしょう。しかし、勝者が勝つに至るまでの過程では、ものすごいコラボレーションがあった筈です。浅田選手やキムヨナ選手のフィギアで例えても、コーチ、スポンサー、スケートリンクの運営、整備、トレーナー等々。あらゆる競技で多くのコラボレーションの結果、予選を勝ち抜いてオリンピックに出場してきているわけです。競技になれば競争ですが、団体戦なんかは相手チームとは戦いますが、チーム内ではいかにコラボするかが勝負でしょう。 いま小学校の特に低学年などでは、負けた子が可愛そうだとかで、徒競走などで順位をつけない風潮があるそうです。もしそうなら、子供はより早く走る必要はないので、運動したり、どうしたら早く走れるかの工夫をしたりする事はないでしょう。子供の体力が年々低下しているそうですが、それもこういう風潮の結果かもしれません。 そして日本全体がこの小学校のような風潮になってきているという事はないでしょうか?鳩山民主党が友愛を掲げて、小泉市場原理主義を批判して、子育て家庭、高校生を持つ家庭、米作り農家などを弱者と規定して、借金をしてまで援助をして、敗者を作らない政策などが受け入れられて、衆議院選挙で圧勝しました。これも敗者を作らない小学校の徒競走と同じく、友愛社会症候群の表れかも知れません。 大卒就職内定率が未だ70%ちょっとです。その原因として先日、そもそも大卒の学力のない学生が30%位は居るからだと書きました。私立大学の半分が無試験で学力の判定なしで入学できる、全入時代だからです。大学入学にも競争がないので、学力など身に付ける必要がないわけです。もう一つの原因は若者の安定志向のようです。この不況下でも、大学新卒の求人倍率は1.6だそうです。それなのに内定が決まらない学生が30%もいるのはどうしてかというと、学生は大企業にしか行きたがらないからだそうです。従業員1000人以下の中小企業では学生が集まらなくて困っている会社が多いそうです。 安定志向と言うことは、一旦入社してしまえば出世さえ望まなければ競争のない安定した人生が送れると考えているのでしょう。実際には会社は目一杯働かそうとするでしょうから、そんな楽な職場はないでしょうが、少なくとも会社は潰れない、上司の言う通りしていれば平凡な人生を送れる、中小企業なら給料も安いでしょうが、いつ会社が危なくなるかも知れないからと考えているのでしょう。春闘でも定昇確保が組合の目標ですが、大企業に入れば、とにかく給料は年齢と共に上がっていくのですから、楽なものです。公務員や教職員など、もっと楽でしょう。民間会社は金を外部から稼いでこなければならないので、大企業と言えども厳しい物がありますが、公務員系は予算を獲得すれば自動的に金は配分されますからね。 かくして日本のサラリーマンも出世競争さえ諦めれば、なんら自己研鑽もする必要がなく、上司の言うことにはいはいとうなずいていれば何とか一生くらせる社会なわけです。しかしこういう会社が発展するはずがありません。社員同士が時に競争し、時にコラボして会社の発展に勤めてくれないことにはじり貧になるだけです。 これは日本社会全体に言えることです。学校でも、職場でも、経済市場でも、競争があるからこそ自己研鑽し、創意工夫するのです。社会の発展はその結果です。逆に言えば、社会や経済を発展させる原動力は競争しかありません。研究分野なんか顕著で、ips細胞を山中教授が開発したら、その後実用化にむけて世界中の研究者達が、激しい競争をしていることは度々報道されています。もし競争がなく、開発は第一発見者の山中さんに限るという規制をしたら、実用化は何十年遅れるでしょう。 自由競争はこのように最も重要なものですが、敗者が出ることも事実です。敗者の中には悲惨な運命を辿る人もいます。しかしそれは競争の重要性を否定するものではありません。鳩山さんのように競争を否定して、敗者だけに目を向ける政策では日本は停滞していくばかりです。バブルの反動から失われた20年に日本では競争よりも友愛のような風潮が蔓延していました。小泉さんがこの風潮に活を入れましたが、その後の自民党内閣でぽしゃり、友愛民主党が勝利しました。これも国民の風潮を物語っているのでしょう。日本をもう一度競争こそ最重要であるという価値転換をしないと、経済は低迷を続けて、先進国から脱落するかもしれません。
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10年03月12日(金)
14:21 /
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あのぅ、途上国 (日本) 10年03月11日(木) 誤解? (ポッキー) 10年03月12日(金)
鳩山政権が高校の授業料無償化を実施します。朝鮮学校はどうするのかとかもめていますが、これは他のインターナショナルスクールなんかと同じにすれば良いだけの話だと思いますけど。在日朝鮮人も税金は払っているわけですから、文部省の定めた日本の教育基本法に基づく学校に絞るなら、インターナショナルスクールも該当しないでしょうし、朝鮮学校だけだめというのも筋が通らない気もします。在日韓国人の子弟も随分通っているそうですから、拉致を理由にするのも無理があるでしょう。 それはさておき、教育は国の根幹であるという考え方には異論はありません。だから高校を無償化する事を正当化出来るのかどうかは、また別問題ですが。今は高校進学率はいずれにせよ90%を越えているのですから、これを無償化して救済される子供はそれほどおおいわけではありません。本当はその数%だけを救済するために国費を使えば、はるかに安い金で出来ることになります。もちろん、現在高校に通わせている親の中にはリストラや収入源で大変苦しい思いをしている人も多く、無償化で幾分助かる家庭も多いでしょう。 しかし、本当に困っている家庭は元々自治体の補助が有ったわけで、この人達には何の恩恵にもならないそうです。逆に、この人達は、自分達より豊かな家庭が援助されて、そこの子供が余裕の出きる金で塾に行くことになるので、結局、一番貧しい家庭の子供が競争上不利になると文句を言っていました。いずれにせよ、高校無償化で日本の子供達の学力が上がるという事にはなりあそうもありません。 民主主義の基本はフランス革命の自由、平等、友愛という事ですが、平等は結果平等ではなく、機会の平等です。結果平等の実験は社会主義で行われましたが、見事な失敗に終わりました。勉強しようがしまいが、働こうが働こう公まいが、得られる物が同じなら、誰も努力しないという事になり、国としてのアウトプットが非常に低く成ってしまったからです。そこで、平等というのは機会の平等だという事になりました。 機会が平等に与えられたら後は本人の努力、能力次第で、結果の善し悪しは変わっても仕方が無いんだということです。ですから必然的に格差が出来る事は許容するしかありません。最近、格差、格差と叫ばれていますが、これをあまり協調すると社会主義的になります。鳩山政権は外国から、中道左派と思っていたら、どうも左派政権のようだと見られ始めています。左派政権とは社会主義政権のことです。 もう一つの問題は機会の均等ということです。生まれてくる子供はいくら平等だと言っても、親の経済力で機会に違いが出てきます。教育費に金をどれだけかけられるかは家庭により全て違います。その前に、頭の良い両親から生まれたら頭の良い子が産まれる確率は高いのでしょうが、そこまで平等にしろといったら結婚にまで干渉しなければならなくなり、そんなことまで言う人はいません。同様に親の経済力にも文句を付けるわけにもいきません。鳩山兄弟のように、両親の頭も良かったのでしょうが、どうせ全科目に大學教授クラスの家庭教師をつければ、東大くらい入れるでしょう。格差を最も声高に叫んで居た政治家がもっとも機会の平等に反したお育ちなのは誠の皮肉なことです。 その機会の格差を埋めようとするのが高校の無償化なのでしょうが、90数%がすでに高校に進学しているわけですから、無償化により格差が解消されるとも思えません。もし、高校での勉強の目的が大学受験であり、機会平等の目的も子供が名門大学を狙える機会を均等にするべきだという事なら、子供が誰しも希望する塾や家庭教師を得られるようにするべきだという事になります。しかしそういう理屈ももう一つしっくりきません。本当は高校生は高校卒業にふさわしい学力、大学生は大学生にふさわしい学力を身につけるのが教育の目的のはずです。 結局、教育の目的とは何かと言うことを考えないで、ただ無償化すれば票につながると言う程度の考えだから、訳がわからなくなるのです。子育て支援と同じです。景気浮揚策なのか少子化対策なのか、困窮世帯の援助なのか目的が明確でないからです。もし高校生は高校卒業にふさわしい学力を付けることが目的であるのなら、何も全員に無償化しないで、援助する困窮世帯の数を増やせば済むことです。もし学力の向上が目的なら、教育内容の充実のために予算をつかうべきです。教師の数を増やして、子供の進み具合によりきめ細かく指導するとか、思考力を高める教育に予算を使うとか色々あります。そう言うこともせずにただ高校の無償化というのは、政策に思想がないという他ありません。鳩山内閣は何事も票目当てのばらまきだと揶揄されていますが、結局、政策に思想がないからです。この国はどういう国になるべきだという思想やビジョンがなく、選挙に勝ちさえすればよいと言う考えだからです。いずれにせよ、こういう政党は長続きはしないでしょうね。 機会の平等という事をつらつら考えてみますと、鳩山さんや小沢さんのような恵まれた人達を基準にすれば、高校に行くだけではなく、家庭教師に塾などが全てに与えられてこそ平等だという事になるのでしょうが、高校進学率90数%という現実を考えると、すでに機会は平等だとも言えます。欧米諸国の進学率を見ますと60から80%台なのですから、日本の進学率は最も高い方なのです。その率をもっと上げようとしているのか、あるいは生活困窮世帯の補助なのか訳の分からない政策です。そんな事より教育内容を充実して質の高い若者を送り出すことこそが日本の未来につながると思うのですが。 |
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