日本のここがおかしい
      記者名:独言子  開始:06年09月01日  全記事:1183  アクセス数: 162/ 512/ 512415



   それにしても節操がないですね。先の大阪府、大阪市ダブル選挙で橋下市長率いる維新の会が圧勝したとみるや、対立候補まで立てていた自公や民主党がすりより、元々擦り寄っていたみんなの党、亀井さんが最後のあがきで提案している石原さんとの新党、たちあがれ日本、それから名古屋市長の河村さんまでが、何とか橋下人気を取り込もうと必死です。あさましいというか、唖然としますね。



 
   特に橋下さんが、大阪都構想を実現するために、国会で必要な立法措置を既存政党がやってくれないのなら、維新の会で近畿圏に候補者をたてて、次の総選挙で戦うという意向をしめしたので、既存政党は戦々恐々となりました。近畿圏での議席を期待している公明党などは必死です。それ以外の既存政党の候補者も、維新の会の勢いに歯向かえば、失業のうきめに合う可能性が強いと、政策も何もあったものではないようです。本来は政策が合致しているから共闘するのでしょうから、対立候補までだした自公はもとより、市長の掲げる地方分権構想に賛成していない民主もするよりよるべきではないはずです。名古屋の河村市長など、減税一本やりの人が、橋下さんに、減税ありきでは共闘できないと釘をさされて、しゅんとしています。

    私自身は橋下さんを評価しています。あっという間に赤字であった大阪府を黒字転換した実力はすばらしいと思います。それも労組と自ら徹夜で賃下げ交渉をしたり、自ら泥をかぶる姿勢は府民の心を動かしているのは間違いないでしょう。単なるタレント政治家とは訳がちがいます。しかし、市長もいうように、こういう事は、知事や市長だから出来る事であって、議院内閣制の元で、首相になったからといって、同じことが出来るわけではないと、謙虚語っています。日本の政治制度のおかしなところは、知事や市長は大統領制のように一般有権者から直接選ばれるのに、首相は議員から間接的に選ばれることです。こういう仕組みでは、余程国民に人気のある首相でないと、さまざまな利権がらみの議員の反対を押しきって改革する事は難しいのです。 

   しかし橋下さんの人気が本物なら、その余程人気のある首相になって日本を大改造してくれる可能性もあるかもしれません。彼の唱える改造とは、私が日ごろこの場で書いている事とかさなっていると思います。要するに地方分権して、地方に税源移譲して、地方が自主的に運営することを中央が認めることです。地方が自己責任で運営されるのです。そうすれば、中央とその出先にいる30万人もの役人は不要となり、二重行政が解消されます。江戸時代に回帰するのです。江戸時代には地方を管掌する幕府の役人などごく僅かですんでいました。僅か250万石くらいで中央政府が運営されていたのですから。これくらいのことをしないと、おそらく日本の財政が均衡したり借金を減らしたりする事は不可能でしょうね。

    そのかわり地方の責任が重くなります。運営を間違えれば、破綻に近づくことになります。そのためには住民は余程、真剣に首長を選ばねばなりませんし、首長は、増税やサービスカットなどを自ら選挙民にお願いして選挙を戦わねばなりません。大都市圏のような比較的税収の多いところと、それ以外の地方ではかなり格差が出てきます。そういう地域では何とか、経済を活性化しようと必死に頑張るしかありませんが、橋下氏は、東京や大阪のような税収の大きいところは、少ないところに再配分する用意はあると述べてはいます。

    地方分権や道州制が長らく叫ばれていながら、何の変化もないのは、職と権限を失う中央の官僚の抵抗もさることながら、中央のいうとおりにしていれば権限はないが、自動的に都市で作られた税金が地方に再配分してもらえるので、ハイハイと聞いているほうが楽だからです。金が足りないのは地方交付税が少ないからだ、住民の要望にこたえられないのは中央がそうしてくれないからだと、言い訳していれば済むのです。増税を訴えて選挙に臨むなんてやりたくないですから。結局、地方分権が実現しないのは地方が権限など欲しくないと抵抗しているからに他なりません。実際には地方の首長が、平穏無事に高給をもらえている現状の方がらくだからです。

    明治維新も西から江戸幕府を転覆させました。平成の維新も西から起こる可能性はあるでしょうね。橋下人気は東京の人にまで及んでいると思われますから。官僚や議員の既得権益を大きく奪う大改革を彼に託するためには、国民の強い支持がなければ実現しません。これからが見ものですが、日本にもかすかな光が見えてきたのかもしれません。





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   ある意味では怖い社会です。新しく防衛相になった田中さんが、初めて沖縄を訪問しました。普天間基地近くから視察して、小学校の上にそう頻繁にヘリが飛ぶわけではないのでしょ?と聞いたそうです。その発言が、普天間基地の危険性軽視であると、記事になり、野党も追及の構えとあります。

    私は田中さんが派閥順送りでこのポジションを得た経緯から、しらけてはいますが、しかし、何でもかんでも沖縄の人の感情に合わないことを言ったら一斉に追求するのは民主主義社会とも思えません。今の沖縄は一見、県民一致で基地移設に反対、県外、国外と叫び続けています。県外の一般国民はある程度ひややかというか無関心な人が多いと思います。その沖縄の中でも、一昨年の名護市長選挙で基地移設反対を唱える稲嶺市長が当選したのは僅差でした。仲井眞知事は直近の選挙では移設反対を表明しましたが、元々は容認派でした。

    ですから、沖縄県の人がすべて移設に反対しているはずがないのです。もちろん賛成の理由は政府が沖縄に出す経済便益です。自民党時代には賛成してもらうために膨大な金が地元に流れました。その金に期待する人や、その金なしに生活が成り立たない人も多いのです。

    しかし、鳩山さんが火をつけた反対派の火の勢いは強く、今、沖縄で賛成を唱える事は難しいのでしょうね。賛成派は今、身を縮めて空気が変わるのを待っているしかないようです。しかし、これではまるで、戦前の、戦争に反対する人は非国民だというレッテル貼りをしているようなものです。

   確かに殆どの米軍基地が沖縄に集中している現状は気の毒です。私は行った事はありませんが、基地の間に町や住宅街があるような印象だと聞きました。一方の日本の安全保障にとっては基地は必要だというコンセンサスは与野党共通しています。そして、地理的にも沖縄は日本本土よりも戦略的立地として適しているといわれています。更に言えば、鳩山さんがトライしたように、県外移設を受け入れる本土住民はいません。ですから、民主主義の原則に照らして、国民世論を読んでも、圧倒的に名護への移設は賛成でしょう。だからこそ民主党も反対から賛成に豹変したのでしょう。移設に反対を続けて、沖縄で選挙に勝っても、全国レベルでは負けるだけでしょうからね。
 
   

    
似たような話は原発事故の除染から出てくる放射能を帯びた土の仮置き場の問題でもあります。地元住民は除染を要求し続けていますが、では集めた土を置く場所をここに作りたいといったら賛成する人はいません。原発事故と無関係の地域の人は、そんなものここに運ばれては困ると反対しますし、地域内で、除染を要求しながら、置き場は作らせないという地元住民を冷ややかに見ているだけかもしれません。

   
 震災後にとった日本人の行動は世界から賞賛されたとありますが、こういう事を考えると、日本人が本当にいい人の集まりなのかは疑問ですね。みんな震災に同情を寄せ、多くの人が寄付し、ボランティアにも参加しました。しかし、これは日本と言うムラ社会の中で起こったことだから、心の底では義務的に考えているだけかもしれません。がれきの処理を引き受けるという秋田や東京、神奈川などの首長の提案に、ちょっとでも放射性物質が含まれるのなら反対と、大騒ぎしている姿を見ると、どこまで心から被災地に同情しているのか疑問ですね。

   
 政府の社会保障と税の一体改革で、野田さんが嫌われる政策でもやらねばならないと力瘤を作っていますが、過去、消費税を上げて選挙に勝った内閣はありません。どんなに国の為に、次の世代のために必要なことなのだと説明しても、国民の中には自分にとっては不利だと考える人が多いという事なのでしょう。自民党も消費税10%と選挙のマニフェストに打ち出したくせに、民主党が提案したら賛成の意思を表さないのは、はやく選挙をやりたいからにほかなりません。200名近くの落選議員が失業状態にあり、はやく彼らに職を与えなければならないからです。国の為より自分のためが、この国の政治を混迷させているのでしょう。

   
 皮肉っぽく考えると、この国を一つにまとめ、未来のための政策を実行するには戦前の非国民のレッテル貼りや、沖縄の基地反対のように、反対派をレッテルで押さえつけて黙らせるような方法しかないのかもしれませんね。そうなると民主主義とはいえないかもしれませんが、自分が損する事は何でも反対という好き勝手な意見を言い合うよりは、まだましな方向に行くのかもしれません。ただし、危険な方向に行く可能性もありますが。


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   先日、適材適所を実現するために能力主義社会の実現が必要だと書きましたが、90年代終わりころから導入されたアメリカ流の能力主義には反発する人が多いですね。格差を広げた、過重労働につながったなど。しかし、これは中途半端に能力主義を導入したからです。相変わらず、新卒を春に一斉に採用して、会社が適当に配属し続けて、さあ能力主義だというからおかしくなったのです。根本的には労働市場や社会を一斉に、もっと柔軟な社会に変えなければならないのです。

    相変わらず、先に入社した人が先輩として威張り、後輩は敬語をつかわねばならないとか、一度、入社したらよほどの事が無い限り首にならないとか、中途採用は異分子だから、極力避けたいとか、硬直的な定年制度とか、性差別とかをなくした、本当に平等で、その職には能力的に最適な人だけが、性別、年齢にかかわらずつけるという社会にならないと能力主義は実現しません。もちろんそのためには労働市場が流動化する必要があります。向いていない人は会社を去り、自分に向いた会社や職業を選んだり、学校に入りなおしたりし、会社もより向いている人を社外から探す必要があるでしょうから。

    しかし、もしこれが実現すれば、過重労働も解消されます。先進国で日本ほど過重労働の国はないでしょう。それは適材でない人が会社の狭い選択肢の中で選抜されるから、会社の要求を実現するために長時間働くしかないからです。本当にその職に向いた、熟練者であればあっという間に終わってしまう仕事を長時間やっているから、過重労働になるのです。それでも有能な人に過重労働を強いる会社があれば、流動的な労働市場になればあっという間に、そういう人材はさってしまいます。    

   格差の問題にしてもそうです。どこの子も高校、大学とハンで押したように一斉に進学して、およそ勉強、学問と縁遠い若者が大量に三流大学を卒業します。ところが親は、大学まで出したのだからと大手企業への進学を求め、中小企業には見向きもしません。その挙句がフリーターほかの非正規労働者になっていきます。今の格差問題は、かれらとエリートの差を言っているとしたら、一旦大会社に入ったら、能力があろうが、向いていようがいまいが、一生安泰だという神話のせいでしょう。流動的な能力社会になれば、親も、勉強に向いていない子に大学へいけなどと言わないとおもうのですが。

    しかし、大会社のエリート社員には向いていなくても、人間、何らかの才能を持っているものです。肉体的に強い人、手先の器用な人、絵がうまい人、音楽の才能のあるひとなど等。絵や音楽など、たとえ絵を売ったり、演奏のプロのなるほどでなくても、仕事に出来る道はいくらでもあるはずです。絵で言えば、デザインやファッション関係など多岐にわたります。

    確かにそういう職業は大会社のサラリーマンに比べて水ものだと思われるでしょう。安定性に欠けると。しかし、勉強の向いていない子が大会社に入れるかどうかに賭けるのも、そうとう安定性に欠けると思いますよ。むしろ、子供の頃から、好きな道を徹底的に極めさせる方向の方が、確率的には職業に結びつく可能性が高いと思います。そして、これらの職業でも成功すれば、大会社のサラリーマンよりはるかに高い収入も考えられます。フリーターというのは、本来それが軌道に乗るまでの一時しのぎになるべき職業です。

    さらに言えば、アメリカではサラリーマンというのはどちらかというと馬鹿にされる職業です。上司の言いなりになって働くことを潔しとしない国民性ですからね。自分の考えで仕事を押し進めて、結果責任はすべて自分がとるという起業家や自営業の方が余程評価されているのです。

    もっともこういう風に変わるには、家庭教育、学校教育、企業の採用方針などすべて根本的に見直さねばならないのでしょうね。日本社会があまりに多様性を認めない社会であるという現実を変えなければなりません。大会社のサラリーマンと大工さんと比べたら、前者の方が偉いというような必然性はどこにもありません。それなのにサラリーマンにさせるために、マークシート式の受験に見合った、暗記中心の勉強をしいて、若者を型にはめてしまおうとしています。そして首尾よくサラリーマンになれた人と、正規に成れなかった人が結果としてできるのは当然なのに、これを格差問題とするのはおかしいですよね。


    日本の教育は相変わらず、人と同じことが出来るようになること、変わったことは極力止めさせる事を教育目的にするという、世界にもまれな方針をもっているようです。しかし、グローバリゼーションの時代には多様な人材が必要です。いい加減に、鋳型で同じ形の饅頭を量産するような教育をやめるべきでしょうね。もっと個性を伸ばし、自ら考え、自分の主張を出来る若者を作るべきです。小さい頃から子供に自立することを教え、何で持って自立するのかを考えさせ、その考えを尊重することでしょう。学校も同じです。そのような変わらないと世界で通用する多様な人材は育たないと思います。      


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   テレビから時代劇が姿を消すそうです。水戸黄門の中止が決まったからです。日本の時代劇はほとんどが、勧善懲悪のワンパターンで、漫画みたいなものですが、それはそれで人気があったようです。ところが視聴率の分析を行ったところ、視ているのはあまり消費しない年寄り世代が中心であるとして、スポンサーがつかなくなったという事です。

    世代間で好みが違うというのは仕方が無いことです。音楽なんかも、高齢者は演歌、熟年はジャズやポップス、それからロック、フォークと目覚しく変遷して、今のAKBEXILEなどに至っています。今の若い世代は年を重ねても、ずっとこういう音楽を好むのに対して、それより更に若い世代がどんどん出てきて、新しい音楽を流行らせていきます。そして今の若者が社会の中心になるころには新しい音楽にはついていけなくなっていることでしょう。

    ですからビジネスの観点から考えたら、その商品の購買層がどこにあるかを把握して、その世代の音楽や番組などを流すのが正しいという事になります。水戸黄門のスポンサーはどこでしたっけ?パナソニックだったかな?そうだとしたら、スポンサーは老人ホームやゲートボール用品、介護用品、温泉、老人医療機関などに求めればよかったのかもしれません。もっとも元気な老人がそんなコマーシャルを見たら、馬鹿にするなと逆効果ですかね?

    ひな祭りも近づいていますが、最近のお雛様も大きく変わっているそうですね。あるメーカーは伝統的な人形を作っていたが、後継者の息子が、大胆に顔のつくりや、衣装を若者好みにしたところ大ヒットしているという報道がありました。顔はハーフっぽい顔で、茶髪、衣装も若者の着物のような柄です。親父は当初こんなものと抵抗したそうですが、売れ行きの好調さに考えを改めたそうです。確かに購入者が祖父母世代で、孫へのプレゼントなら伝統的なものがよいでしょうが、親世代が買うのなら、大分違うものがもてるでしょうね。まだまだ祖父母世代の購買力も大きいでしょうから、この場合は両方のパターンをおいておくのが正しい選択でしょうね。

    このように世の中は刻々と変わっていくのですから、何度もいうようですが、年長者が自動的に責任者になるという日本の会社や役所の慣習ははやく改めるべきでしょうね。特にITが社会の中心になりかけている現代では、おじんがトップを勤めるなど、百害あって一理くらいしかないでしょう。人形メーカーの場合は可愛い息子がどうしてもと主張したので親父もしぶしぶ認めたのでしょうが、一般の会社では、ふざけるな、何考えてんだとどなられておしまいでしょうね。 その為には能力主義が社会に徹底されなければなりません。年齢、性、出身、人種にかかわらず、能力のある人が責任ある地位につくべきなのです。というか、どんな地位や担当でも、すべてその職務にもっとも適した人がその担当になるべきなのです。

    それが適材適所を実現し、もっとも生産性の高い社会になるのです。今は能力主義に反発する人が多いですが、能力主義を誤解している人も多いからでしょうね。能力主義は必ずしも過重労働を強いるものでも格差を広げるものでもありません。逆に能力のある人、自分に適した職に就いている人が効率よく仕事をすれば、短時間の労働ですむこともあるでしょう。向いていない仕事を向いている人並にやろうとするから、長時間労働になるのです。

    話はそれましたが、要するに年長者が自動的に責任者になるという制度、風習は、新卒を一斉に採用して、会社が勝手に部署に振り分けるやり方と共に、適材適所につながらないという事です。そして少子高齢化社会では適材適所を実現しないと日本は衰退していくばかりだということです。
 


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   税と社会保障の一体改革を断固実行するとして、野田さんが内閣改造を実行しました。と言っても防衛大臣になった田中さんなんか、とても防衛に精通しているとは思えず、報道によると輿石さんが、以前参議院議長に推挙したのにはたせず、負い目を感じているので強く押したのが背景とあります。あれだけ前任者の無能ぶりが攻撃されたのに、再び、順送り的な人事を行うのも、何をかんがえているのかなという気もします。国会が始まると保つのですかね?妻の知名度、更に言えば義父の知名度だけで議員を続けていただけのような人という印象が強いですからね。

 

   その税と社会保障の一体改革ですが、消費税上げの前に国会議員削減と国家公務員の人件費削減が前提条件になってきました。国民がそう思うのも当然のことです。しかし、そのこと自体はアリバイ造りのようなものでしょうね。それにより浮いてくる金など知れています。何せ、世界最悪の借金が積みあがっている上に、毎年、90兆を越える予算に税収が40兆、残りは借金で穴埋めという最早サラ金地獄状態の財政ですから、社会保障の維持のための消費税5%上げなどで済むような話ではないのです。

 

学者によると社会保障の維持だけで消費税は30%にしないと保たないという事ですが、それは社会保障を維持できるだけで、今の巨額の毎年の赤字の大部分はそのままです。このままだと10年以内のギリシャ状態になるといわれているのです。

 

その消費税でさえ、低所得者の生活を勘案して、給付金を出すというような案になっています。この給付金ですが、子供手当てや高校無償化、農家の所得補償など、財政苦しい中で多くのバラマキ政策をやってきた民主党ですが、一部の本当に苦しい人以外の人にも均等に行う政策です。苦しくない人にまで金を出す余裕は今の日本にはないのですがね。

 

この原因は、政府には国民の本当の収入や資産が把握できないからです。だから国民背番号制の導入が叫ばれているのですが。しかし、これを導入しても、実際に機能するまでは何十年もかかるそうです。しかし、そうだと言っても、避けて通れません。高齢者に対する医療、介護その他の補助にしても、収入のある人や、資産のある人にまで補助を行うのはやめるしかないと思います。

 

一つの提案ですが、番号制が機能するまでの経過措置として、あらゆる補助金の受給は、申請制にして総所得200万以下の人、総資産2000万以下の人のみ申請してくださいととするのです。そして、もし事後の調査でこの基準を超えていれば不正受給として追求するとするのです。例えば収入が少なくても家を持っている高齢者は家を処分すれば補助金なしでやっていけるはずですから。補助金もらいながら不動産や金融資産は残して、子供にやりたいなんていうのはわがままですからね。

 

これは高齢者だけではなく、すべての世代にも同じですし、これが機能すれば、本当に収入も少なく、資産もない人だけが補助金を受けられるという事になるはずです。不正受給も増えるでしょうが、政府の支出は相当減るはずです。民主党政権になってから特に、本当に困っている人たちを取り上げて、困っていない人まで含めてばら撒き政策を実行したり、意図しましたが、恐らく、殆どの人がもらう必要の無い補助をもらっているのが実情でしょうね。

 

もちろんここまでやるのなら、政府も大きく身を縮めてもらわねば成りません。地方分権を実行して、財源も地方に移し、国家公務員を大幅に削減する必要があります。前にも書きましたが、完全な中央集権ですから、地方の公務員ときつい二重行政になっているのです。これを解消すれば大きな金が出てきます。これくらいのことをしないとギリシャ状態からの脱出は困難でしょうね。

 

もっとも今の日本にはそんな事を実行できるリーダーはいそうにもありませんから、太平洋戦争をやめるという決断が出来ずに敗戦、焼け野原となってやっと目が覚めた、あの時と同じように、キャタストロフィが来て、初めて目が覚めるのでしょうね。その意味では懸命な人は、いずれ来るキャタストロフィに備えておくの正解かもしれません。

     


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