少し古い映画で、また、比較的有名な映画ですが、最近BSテレビで放送されていたので、録画して見ました。 この映画は比較的高い評価を受けているのですが、物語の時代的背景が分からないとやや難しい映画なのかなぁと感じてしまいます。そんなわけで、物語の紹介の前に、少しだけ時代的背景を私なりに紹介したいと思います。 映画の時代は中国文化大革命の後期です。中国の文化大革命は1966年から76年までの10年間。革命により中国建国までこぎつけた毛沢東が、やや失いかけた権力をもう一度取り戻そうとして始めた上からの革命、というのが、かなり大雑把な説明でしょうか。文革初期のころは、紅衛兵が「革命」を唱えて、すべての秩序を破壊してまわりました。こうした活動は世界中の若者に飛び火して、日本での学生運動に火をつけた、とのことです。 私の日本人の知り合いに「マオ」という名前の女性がいて、聞いてみると毛沢東の苗字「毛(マオ)」にならって命名されたのだとか。最近話題のフィギュアスケートの浅田真央ちゃんや日本版「花より男子」の主人公「つくし」を演じた井上真央さんなんかは、さすがに毛沢東とは関係ないとは思いますが・・・ さてさて、話がそれましたので、もどします。文革、でした。 暴れまくった紅衛兵を少し納めようとして、始まったのが紅衛兵世代(学生世代)を農村へ送り込む事業でした。革命では貧しければ貧しいほど「出身がよい」とされ、辺鄙な農村で暮らす農民たちが「最も出身がよい」とされました。そうした人たちに「学ぶ」という事業です。こうして町から送られた青年のことを「知識青年」というように呼ぶこともあるのですが、中学校ぐらいまでしか行っていないのに「知識青年とは」というような話を、元知識青年だった私の恩師から聞いたことがあります。 この事業により、多くの学生が地方に散っていきました。この農村での暮らしについては、否定的なものも多いのですが、そこで過ごした青年たちにとっては確かにそれが青春であり、いろんな意味でいい経験だったというような、やや肯定的な捉え方もされています。かなり古い映画ですが「孩子王」(子供の王様)という作品(原作は阿城という作家)では、かなり早い時期にその「意義」みたいなものを問い直す内容のものになっています。小説では、3部作となっていて、「棋王」(将棋王)では、文革なんて言葉も忘れてしまうほど、ある意味、純粋な青春文学になっています。 で、今回紹介する映画「小裁縫」はそんな時代背景をもった作品、です。 物語は、医者や音楽家の親を持つ「出身が悪い」主人公2人が農村に送られることから始まります。農村での不慣れな労働を通して、農村での生活を体験します。その一方で年頃の男として、村の女性に興味を持ち、裁縫を職業とする女性と恋に落ちます。そして、文字を知らなかった女性(お針子)に文字を教えます。また、同じく町から来ていた知識青年が隠し持っていた外国小説を盗み、その小説をお針子に語り聞かせることにより、お針子はそれまで知らなかった「外の世界」を知るようになります。そして・・・。 物語は、農村経験をし1970年台だけで終わるのかと思えば、急に現代へと時代が飛びます。日本のドラマでもたまに見られる「30年後・・・」みたいな設定です。長江ダムの影響で河に沈むかつての農村を訪れ、そして、お針子を探します、が・・・。 少し古い映画ですが、現在も活躍する3人の俳優が主な役を演じています。映画タイトルになっている「お針子」を演じるのは周迅(チョウ・シュン)。もともと私が周迅(チョウ・シュン)ファンということもありますが、農村の娘を素晴らしい演技で演じています。町から来た二人の知識青年が惹かれる理由も納得。彼女にとっては初期の作品になるかと思いますが、とにかく表情を使った演技がいいんですよね。町から来た知識青年を演じるのは陳坤(チェン・クン)と劉[火華](リウ・イエ)です。お針子と恋に落ちるのが陳坤。それを見守るのが劉[火華](リウ・イエ)です。陳坤(チェン・クン)は、この映画の撮られた頃には、本当にしばしば周迅と競演しているのですが、ここでも競演。周迅ファンの私としては、周迅作品を熱心に見ているとついつい陳坤作品も見てしまう、というようなことになっています。そして、何となく陳坤ファンにもなってしまったりして。もう一人の知識青年役・劉[火華](リウ・イエ)は、映画「山の郵便配達」にも通ずる農村での演技。続けて見てしまうと何となく農村が似合う俳優かなぁと思ってしまうかもしれません。もちろんそんなこともなく、香港映画「保持通話」なんかでは都会派の演技もこなしているのですが・・・。そんな豪華な俳優陣で、日本的な発想だと当然の結末として女一人男二人の三角関係になるかと思っていたのですが、なぜかそうはならないんですよね。それが、この時代(文革)だからなのかはよく分かりませんが、劉[火華](リウ・イエ)は密かに恋心を持っていそうなのですが、あくまでもサポート役に徹しきっています。 さて、話が長くなりすぎましたが、最後に補足説明をもう少し。 映画の中では「禁書」として外国文学が登場します。また、村での娯楽である映画も社会主義国のみの作品に限られるというようなセリフが出てきます。文革時期には、こうした思想的統制が厳しく行われてきました。基本的には、社会主義国の映画や小説以外は不可、さらにその作品内容によって厳しく選別されていたそうです。そんな中で、西側世界の小説というのは、すごく刺激的で魅力的だったのです。この時代、演劇も毛沢東の妻・江青の支持で、数種類の「模範劇」以外は禁止されていたとのことです。また、劉?が演奏するバイオリンの曲についても、「毛沢東崇拝の歌だ」みたいなことを言うのは、そんな時代背景があるからで、そんな時代背景を知る人はここでクスッと笑うのかもしれません。 あと、もう一つだけ蛇足の蛇足を。 主人公の知識青年二人が町(隣村?)に映画を見に行くシーンがあります。大きな白い布が張られ、屋外での上映となります。席を探した二人は、結局、スクリーン代わりの白い布の裏側に回る、というシーン。これも中国人の恩師に聞いた話なのですが、映画を裏側から見る、というのもよくやったそうです。スクリーンの布が薄いから、裏側から見ても左右逆転するけれども、やっぱり普通に(?)見ることができ、しばしばそうやって見たそうです。このシーンを見たとき、すっかり忘れていたエピソードを思い出してしまいました。