さてさて。
現在発売中の『サイゾー』にて、アレがついに終わってしまいました…。
そうです!
宮崎哲弥氏と
宮台真司氏の対談式連載である「M2」ですよ!!!
7年間、ワタクシはずっとこの連載の為にサイゾーを買い続けました。
宮崎哲弥という男に惚れ込んだワタクシは、これまた惚れ込んでいた宮台真司という男との対談に毎月毎月心躍らされておりました。
ワタクシ的にはっきり言って…、二人が言っていることの大半が理解できない(爆)。
それでもそれでも、バカなワタクシなりに彼らが一体何を言おうとしているのかをなんとか理解しようとした。
確かに、それなりに理解できた部分はある。ゆとり教育は個性を無くさせた戦後教育に対する対抗軸である?とか。
でも、対談内容自体に年々「鋭さ」が無くなっていった。二人の馴れ合いからくる惰性というか。頭の素晴らしく良い二人が、互いの知っている高度な用語をツラツラ並べるだけの対談に終わっている感じというか。
ワタクシ的にはそのダラダラ感についていけなくなって、ここ2年間ほどは流し読みをしているだけだった。正直、彼らの対談から目の前がはっきりとなるような答えを得られた感じはしていなかった。
そんな中での対談終了…。
もう潮時だったのかもしれないね。これ以上やっても何の実りもない、…みたいな。
そんな空気を感じ取ったか、宮崎氏と宮台氏は今回の最終対談内にて以下のような発言をば。
「僕たちが発言し続けてきたことに意味があったのかな?全く話題にならないね。」−(宮台氏)
「ある意味、ハイ・コンテクスチュアルすぎた」−(宮崎氏)
雲の上でいくらしゃべっても、地上に生きる我々に声は決して届かない。神の領域で通じる声は、我々の領域に通じる声に変換しないとダメなのだ。
所詮、訳の分からないカタカナを多用するばかりならば、所信表明演説の安倍晋三と同レベルだよ。難解な用語をそのまま語るのではなく、その意味をより日常用語に噛み砕いて伝えることをしないと、全く意味を成さないとワタクシは思うね。
まぁ、二人の対談内容はじっくりと腰を据えて、長い時間をかけて読んでいくことにしましょう。対談自体は決して無駄ではないと思うのでね。
二人にはとりあえず御礼を言いたい。
…知的刺激感覚を7年間も与えてくれてサンキュー!、とね。
あー、来月からのサイゾーは買うべきか買わないべきか迷うなぁ…。
あ、最後に。
ハイ・コンテクスチュアルって何だ?(爆)