【p205引用】日本の朝鮮半島占領当時、100万人近くが行方不明になってしまった。そういう人たちの補償はしていないわけです。
という記述を見ると、お話にならないトンデモさん、ということになる。もちろん彼女としては、「アメリカに毎年16兆円を使い、塩漬けの米国債が300兆円もある」のだから、「北朝鮮に2兆円与えるくらい、平和を思えば何でもない」という理屈ではあるのだが。
靖国参拝や教科書問題では「中国は死者につばをかける」「中国にハッキリものをいうべき」と強行路線だが、相手が朝鮮半島になると、盧武鉉絶賛で、金正日万歳である。中丸薫の独特の「特定アジア」観はどこから来ているのか。
◆ハンギョレ新聞:「私は明治天皇の孫娘」というニセ寸劇(2004/7/29)(韓国語)
29日、ある市民団体の行事に参加した日本女性が「明治天皇の孫娘」なのかどうかを巡り、物議をかもす一幕があった。

中丸薫という日本女性は、この日「世界非暴力平和運動連合」(平和運動連合)がソウルで行なった定例記者会見の席上と、3・1運動記念塔前で行なわれた平和宣言式で、自らを「明治天皇の孫娘」と紹介した。
パク・インソン平和運動連合理事長は「日本の天皇の孫娘が韓国を訪問し、3・1運動記念塔前で非暴力と平和を宣言することが、今回の記念式典の核心である」と述べ、「中丸氏の韓国行きにあたっては駐日韓国大使が同行し、李明博ソウル市長が平和宣言式に参加する」とつけ加えた。<中略>
これに対して、在韓日本大使館は
「宮内庁に問い合わせた結果、皇籍にそんな名前の女性はいなかった」「彼女は明治天皇の孫娘ではない」という公式見解を明らかにした。一方、駐日韓国大使館も
「大使が同行した事実はない」ことを明らかにし、李明博ソウル市長はこの時間に執務室にいたことが確認された。
キム前賞勲局長は「皇室の孫娘であることを直接確認できなかったが、皇族がこのような行事に参加することに対して、日本国内の世論を考慮して、
日本大使館が嘘つくこともあるのではないか」と語った。
報道陣の確認作業は続く中で、パク理事長は「正室の子孫ではなく、いままで明かされなかった皇室の孫娘だ」とし、
「日本で記者会見を開き、本当の孫娘であることを明らかにする」と語った。
(訳はWeb翻訳にヒロさんが手直し。ハングル専門家のチェック求む)
中丸薫の最大の売り物は「明治天皇の孫娘」という点である。「日本の皇族」が「駐日韓国大使の同行」で「3・1運動記念塔」に駆けつけてくれるのだから、韓国の某勢力にとってみれば利用価値満点である。「日本で記者会見を開く」と豪語しているが、そんな記者会見など開けるわけもない。
中丸薫は「天皇は100%朝鮮起源」を主張し、「宮内庁はアメリカの巣窟」であり、「韓国は米国支配から脱した模範生」と純粋に信じている人なのだ。
◆帝國電網省喫茶室:過去ログ66(2004.11.1〜11.30)
投稿者:はる (2004/11/8)
先日、宮内庁宛に下記問い合わせをしたところ、返事をいただきました。
「御迷惑な質問かもしれませんが、“中丸薫”氏という方が“明治天皇の孫”を名乗っておりますが、これは事実なのでしょうか?是非、御返事をいただきたくお願いいたします。」
宮内庁からの回答
「お尋ねの件につきましてそのような事実はございません。 宮内庁広報係(電話03-3213-1111(代表))」
下世話(げせわ)な質問にも関わらず、きちんと回答をもらえるなんて、ちょっと感激です。
宮内庁に「電突」をする人もいるようだが、ハンギョレ新聞と結果は同じである。彼女の父親・堀川辰吉郎が、明治天皇の子供という可能性はあり得るのだろうか。
◆ウィキペディア:堀川辰吉郎
大アジア主義者。明治天皇と千種任子の間の隠し子とも噂された怪人物(後述の中丸薫がこれを根拠に自分を“落胤”と主張)。ただし堀川自身はその噂を否定していた。井上馨と京都の芸者の間にできた息子ともいわれ、戸籍上は井上馨の兄・重倉の五男。
◆帝國電網省喫茶室:過去ログ66(2004.11.1〜11.30)
投稿者:八神邦建 2004/11/5
彼女の父親の堀川辰吉郎って人は、生涯、日本じゅうに数え切れない女をつくって、子供を生ませて、父親の責務をまったく果たさなかったと、昭和二十年代の関係新聞記事や雑誌インタビューに書いてありました。
手元にある資料「天皇の伝説」(メディアワークス・1997年)P74-75には、こんなことがマンガの形で面白おかしく書いてあります。
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★中丸薫の手記によれば、「祖母の権典侍(ごんのてんじ:天皇のお付きの女官) 千草任子(ちぐさ・ことこ)」が大奥の争いに敗れて宮廷を追われ、京都堀川御所で生んだのが、父・堀川辰吉郎。それで、辰吉郎が20歳の時、千草任子は病没したといいます。
ところが、千草任子に関する事実はこうです。
1. 名前は「千種」任子であって、「千草」任子ではない。
2. 宮廷を追われたという事実はなく、69歳になるまでお仕えしていた。
3. その後、お仕えを辞めて移ったのは京都の堀川御所ではなく東京は新宿区砂土原町。
4. 辰吉郎20歳のとき病没したというが、それが本当なら任子は43歳で亡くなったことになる(辰吉郎は明治10年生まれ)。しかし、実際には88歳の長寿を保って亡くなっている(報道や墓地で確認済)。
★また、「歴史と旅・特集:明治天皇といふ人」(秋田書店2001年12月)なるムック本があります。この中に「明治天皇のお側の女性たち」(森まゆみ)という記事があり、千種任子についてこう書いてあります。(P67-71)
*「権典侍は、天皇の身の回りの世話、風呂での背中を流したりする役で、天皇の側室であり、化粧料150円が別に与えられた。千種任子(ちぐさ・ことこ)は(中略)のちに天皇の側に侍(はべ)り権典侍となったと思われる」
*「(明治天皇との間に、天皇から見て)三女・韻子<明治14年>と四女・章子<明治16年>を生んだが(中略)二人ともそれぞれ2歳1カ月、7カ月で相次いで夭折(ようせつ)している」
*「権典侍は基本的に天皇の側室なので、化粧料をもらってはいても、公の場には一切出られなかった」
*「千種任子は昭和19年、89歳で死去。(中略)明治天皇が逝ってから、千種任子は三十数年を一人生きざるを得なかった。まさに<未亡人>のひっそりとした暮らしであったろう。自分で生んだけれども育たなかった皇女たちのことなど、どんな想いがその胸に去来していただろう。千駄木林町の千種邸のあとは、今も国有地である(後略)」
つまり、千種任子が「ご落胤(らくいん)」として堀川辰吉郎を生んだなんていうのは「フィクション」であろうということです。当時の皇室の状況からして、なかなか皇子様がお生まれにならなかったのですから、「御落胤」あつかいなどされるわけがありません。
中丸薫とは一線も五線も画したい副島隆彦の場合は、そもそも「父親が堀川辰吉郎というのがウソだ」として、以下のような自説を披露している。(転載の転載なので、オリジナルのソースは不明)
◆火の鳥ホットライン:あの中丸薫が「明治天皇の孫」というのは、真っ赤なウソ!!(2004/5/5)(=副島隆彦の説)
『中丸さんの父は韓景堂(かんけいどう)と言って、450年続いた満州の旧家の長男で豪農の出身であり、理工系の大学を出て当時は京奉鉄道の技師でした。
母は中島成子(なかじましげこ)、栃木県小山市出身で、これまた豪農の家の7人兄弟の3番目に生まれ、日赤の看護婦さんとして満州に渡り、帝国陸軍から張学良(ちょうがくりょう)邸に派遣されそこで韓景堂さんと恋愛結婚、姉一人、弟一人の三人兄弟です。当時の中国の風俗習慣をご理解戴きたいと思いますが、韓景堂さんには何人も奥さんがいたのです。
しかし皆正式に結婚した夫婦です。イスラムには4人までと言う宗教的な限度がありますが、当時の中国には正夫人が何人もいたのです。従って中丸薫さんは正式な韓景堂の子供です。韓景堂さんは国共内戦の時には戦禍を逃れて、最後には台湾に行き、大学教授で晩節を全うしました。従って大陸、台湾共に腹違いの人脈があります。生後すぐ中島成子さんの弟夫婦にあずけられ、実父母との縁薄く育ちました。
明治天皇との血縁は有りません。昭和31年にアメリカのコロンビア大学に入学しております。サッチーと異なりチャント卒業しております。中丸さんは昭和12年生まれなのでこんな事を言うのですが、昭和31年、又は昭和32年頃に日本の高等学校を卒業して、アメリカの大学に進学出来ると言う制度はありませんでした。
昭和32年に母中島成子は中共の監獄から無罪として釈放されて日本に帰ってきておりますが、其の時は中丸薫さんはコロンビア大学の2年生で、アメリカにいました。
母子が何処かで出会ってはいるでしょうが、親子の縁は薄い方です。中丸さんの本をよく読んでも、明治天皇の孫とは断定していません。口の中から細胞を取り出してD.N.A.鑑定をした……そこまでです。
中丸さんを米子市にこれまで3回迎えて、講演会を開催しました。私はその主催者ではなく、サブの位置につきました。彼女が明治天皇の血を継承していない事を、幹事会の席上で、私が発言しましたので、何かこう気まずい空気となり、2年半前に米子で開催されて以来当地では開催されていません。』
このDNA鑑定は、中丸薫に注目する人たちの間では話題になった。歴史が塗り変えられるからである。
◆中丸薫女史が大室天皇を肯定か!
実は、中丸女史のの中での彼女と大室家の方とのDNA鑑定の件は、既に2001年春から聞いていた。日本では信用できないからアメリカに送って検査をすると言う事で、8月頃この仕掛け人(社?)の大手○○新聞紙上にて記事にするとの事であったので、心待ちにしていたがその後そのまま無しのつぶてであった。
「大室家」とは、明治天皇替え玉説で登場する「大室寅之祐」の家系のことだ。2006年になっても、無しのつぶてである。
こんな批判でくじけるような中丸薫ではない。彼女には「神」がついているのである。
◆帝國電網省喫茶室:過去ログ66(2004.11.1〜11.30)
投稿者:八神邦建 2004/11/9
ちなみに、この中丸薫が27年前に宗教法人GLAの二代目教祖(現教祖)になりたてだった高橋佳子が書いた本に寄せた推薦文を掲載しておきます。この宗教が、幸福の科学とパナウェーブの原点になったことを象徴するような「人脈」ですね。
『真創世記・地獄編』(祥伝社 NONBOOKS・1977年3/30初版)カバー袖推薦文
「私たちに価値観の転換を迫る 国際政治評論家 中丸薫
かつてないセンセーションがここにはある。常識、知識という鎧(よろい)に身を固めた私たち現代人には計(はか)り知れない世界がここにはある。不可解という容易な否定を許さない真がここにはある。私たちに価値観への転換を迫るものがある。自らの存在理由とアイデンティティーを模索する現代人への明快な解答がある。なぜなら、ミカエルに触れる時、私たちの心に勇気と知恵がほとばしり出る。このエネルギーこそ、真実の奇跡だからである。今、輝かしき世界への飛翔がミカエルの翼に約束された。」
宗教法人GLAは、2代目高橋佳子の『真・創世記』が大ヒットして、私も夢中になって読んだ口である。GLAの分派団体「心のつどい」は、現在「日本会議」にも所属している。
GLA初代の高橋信次は、人の過去世を読み取って、過去の「異言」を話し、それを瞬時に解読する超能力者である。余談ながら、この流れの影響を受けているのが、書店で本が溢れかえっている大川隆法の「幸福の科学」である。中丸薫の「霊能力」の触媒となったのは、GLAの高橋信次なのだ。
◆話題のトピックス:邪馬台国と卑弥呼(=高橋信次の言葉)
1975年(昭和五十年)3月、宮崎の研修会では、「この人は過去世において卑弥呼であったことを思い出しております。奄美大島から来られたこの二人のご婦人は卑弥呼の女官をしていた方達です。東京でデザイナーのG堂さん、映画俳優の中丸氏の夫人の薫さんは、ともに卑弥呼の大臣をしていた人達です。卑弥呼の過去世を思い出したこの人を中心として、この人達が卑弥呼の時代を思い出すと、今までわからなかった日本の歴史がはっきりとします。邪馬台国は有明海を中心にしてありました。」
高橋信次によると、中丸薫はかつて「卑弥呼の大臣」をしていたのだ。
◆人間・高橋信次
昭和四十九年のある日
明治天皇の落胤の娘である中丸薫氏が、大阪の講演会に信次を訪ねた。中丸氏は個人的外交官として、諸外国の王、大統領、首相と直接に逢うことの出来る人である。中近東のオーマンの砂漠を走っている時、突如として天から「祈れ」と声がした。車から降りて、砂の上にひざまづいた時、再び「身につけている宝石、貴金属はみなはずせ」という声がした。しばらく祈って目を明けると、何百万もする宝石、貴金属がみな失くなっていた。探したが、見つからなかった。日本に帰って来て、信次のことを知った氏は、八起ビルを訪ねたというのだ。すると信次は、いきなり「オーマンでは大変でしたネ」と指摘した。
◆中丸 薫の活動のあゆみ
私の人生において大きなターニングポイントと言える1976年のこと。私はと出会いました。そして、いつもいつも心の中で繰り返されていた、人生の意味や魂のテーマについて理解する、的確な導きをいただきます。すでに亡くなっていた父の魂が、天上界にある今もなお娘の行く末を見守っていると伝えられ、魂は永遠であることを実感したのです。
さらにその後、私は大変貴重な体験をします。アラブ首長国連邦を訪れザイド国王との謁見を終えた後、なぜか急に祈りたい気分になり浜辺に出て腰を降ろしました。心を静め、3つの問いかけを思い浮かべながら黙想していると、突然、海を引き裂かんばかりの雷光が走り、すさまじい音と共に雷が辺り一面に次々落ちてきたのです。不思議と恐怖は感じず、私はさらに神にすべてを託してひたすら祈り続けました。
ふと天空を見上げると…、大きな光の柱が降ってきて、私の眉間を直撃したのです。光が身体を突き抜けていった後は、何とも言えない清々しさと調和に包まれた感覚でした。
中丸薫は1976年に「天啓」を受けて、現在の活動に及んでいる人なのだ。その意味で彼女の真髄は「国際政治」でもなく、「明治天皇の孫」でもない。国際金融財閥の悪に立ち向かう「闘う巫女」であり、「国際派シャーマン」なのである。
(「明治天皇の孫」は権威づけに役に立ったかもしれないが、その事実がないとすると、先々の展開が少々心配であるが・・・)
不思議なことに、中丸薫も「大本教」の系譜なのである。
父親とされる堀川辰吉郎は、