辻元清美の『へこたれへん』について、「花風病夫」さんが貴重なコメントをくださり、私も一段と深読みができるようになった。辻元の師匠の1人である、小田実(おだまこと)に関してである。
◆辻元清美 『へこたれへん』(角川書店) p118
早大入学と韓国民主化問題
「誕生日に焼肉おごったるから、国際会議の準備を手伝え」
浪人時代に知り合った小田実さんと上京後、再開した。私の誕生日は4月28日なので、4月に大学に入学した直後に小田さんにこう誘われたのだ。当時、韓国は全斗煥政権で軍事独裁政権だと言われていた。前年に光州で民主化を求める民衆への弾圧があり、国際的に非難されていた。そこで日本で韓国の民主化を支援する国際会議を開催することになり、その会議のボランティアスタッフとして参加しないかというお誘いだった。
「国際会議」というと聞こえがいいが、問題はその中身だ。1981年5月16日〜19日に、東京・社会福祉会館で「韓国民主化支援緊急世界大会」が開かれたが、これは1年前の光州事件(5月18日)に合わせたもので、事務局長は小田実と郭東儀の2人だ。
この会議の推進母体は「韓民統」。1973年8月に東京で設立された団体で、正式名称は「韓国民主回復統一促進国民会議」という。軍事政権(朴正煕)の打倒を叫び、死刑判決を受けた金大中の釈放を訴えていたが、1978年に韓国政府より「反国家団体」に指定され、この運動に参加する在日韓国人に対してはパスポート発給が停止されている。
◆西岡力 『北朝鮮に取り込まれる韓国』(PHP研究所 2004年3月) p100
次第に金大中は宇都宮徳馬や、岩波書店の『世界』といった勢力と親しくなる。そして民団(在日本大韓民国民団)の中で分派活動が起こり、民団のベトコン派と呼ばれるグループが接近してきた。それが「韓民統」(韓国民主回復統一促進国民会議。1974年、東京で結成された親北団体。金大中はこの団体の議長になるはずだったが、結成大会の直前に韓国情報部によりソウルに強制的に連れ戻された)という別組織をつくり、反朴活動をしようとしていたのだが、金大中はその議長になることになった。じつは、このベトコン勢力は当時の朝鮮総連からカネをもらっていたことが明らかになっている。 が入手した駐日韓国大使館の報告書(1980年作成)には、このように書かれている。
「朝鮮総連は、韓民統の反韓デモ動員、反韓集会開催、北と朝鮮総連の宣伝活動などの費用として、1973年8月から75年12月は、毎月1千万円、76年1月から77年12月は、毎月やはり1千万円。そして78年1月から79年7月は、毎月500万円から1千万円。そして79年8月から80年2月は毎月1千万円などを支援してきた。
民団のベトコン派「韓民統」は、1973年〜1980年に、朝鮮総連から毎月1千万円の支援を受けていた親北組織というわけである。「韓民統」は、1989年には「韓統連」(在日韓国民主統一連合)と名称を変え、現在に至っている。この団体の青年組織が、大阪に本部を置く「韓青」(旧:韓青連)や「日本・在日・韓国ユースフォーラム」である。
この親北団体「韓民統」の素性を知ってか知らずか、早稲田大学生の辻元清美は、徐々に「朝鮮半島」にのめり込んでいく。
◆辻元清美 『へこたれへん』(角川書店) p119
この国際会議では世界中から集まった専門家や活動家が民主化を論じた。私は冷戦時代の分断国家の厳しい現状を実感した。
恥ずかしいのだが私はこのとき、光州事件すら知らなかったのだ。問題意識はあったが新聞などもあまり読まない普通の女子大生だった。だから議論の中身についていくだけの知識がなかった。この会議を通じて命がけで民主化を求める人たちと直接触れ合って、自分がいかに無知かを自覚した。
◆ソース同上 p122
「何がしたいのですか」
ある日、国際会議に参加した人から鋭く指摘された。私は答えられなかった。<中略>私の何かが吹っ切れた。
「韓国に行ってみたい」
ピースボートの原点は「1982年の歴史教科書の書き換え事件」という話は、耳にタコができるくらい何度も何度も聞かされてきた。現在のピースボートのHPでも次のようになっている。
PEACEBOAT:What's PeaceBoat
ピースボートの記念すべき初航海は1983年9月2日から横浜を出航し小笠原、グアム、サイパンといったアジアの国々をまわるクルーズ。実はこのクルーズが生まれるきっかけとなったのは、その当時国際問題化した「教科書問題」。教科書検定のさい、日本のアジアへの軍事侵略が「進出」と書き換えられたことにたいして、アジアの人々が激しく抗議したというものでした。このとき今まで自分たちが学んできた歴史は本当のことなのだろうか?という疑問と、実際はどうだったのだろうかという興味をもった若者たちが、「じゃあ現地に行って自分たちの目で確かめてみよう」と考えたのが出発点でした。
アジア全般の現地の声を聞こう、幅広く勉強しよう、というもっともらしい話になっているが、これは「原点」の周辺だ。ピースボートの出生の「原点」は、創設者・辻元清美自身の声を聞かねばなるまい。
◆辻元清美 『へこたれへん』(角川書店) p125
「百聞は一見にしかず」
直接現地に行って、自分の目と耳で知りたかった。
「アジア・太平洋の戦争体験者の話を聞いてみたい。若者たちとも議論したい」
国際会議のボランティアをしていた若者が中心になって企画を立て始めた。
第1回ピースボートの推進メンバーは、「韓民統」の国際会議のボランティアたちであるということだ。ピースボートが「親北団体」として、何があろうともブレることのない、不動の忠誠心を保っていられるのも、このような「出生の秘密」と関係があるのかもしれない。
最近はどこに隠れたのか、音沙汰がない小田実だが、北朝鮮に十分に利用されたその後の「総括」はどうなっているのだろうか。
三浦小太郎寄稿集:小田実批判 独裁者を利する『市民派』知識人
現在は入手困難だが、かってベトナム反戦運動や韓国民主化運動などで活躍した小田実氏の「私と朝鮮」という北朝鮮論がある。現在、北朝鮮の全体主義体制と国家テロの全貌がほぼ明らかになった時点で本書を再読し、これはある意味で丁寧に読み解かれるべき貴重な記録であると思われた。<中略>
小田氏は1976年に北朝鮮を訪れ、約3週間にわたって滞在、よど号犯とも面会し、金日成とも対談した。そして、平壌の庶民の生活水準を、当時の日本の一般庶民とほぼ同等の豊かさをもったものと判断し、さらに、社会福祉、教育などにおいては日本よりも(何とアメリカよりも)進んでいると見なし得るとすら述べた。「北朝鮮には税金も社会不安もない」「食糧自給が完全に成し遂げられている」といった、今現在の視点からは噴飯ものとしか言いようがない言説も見られる。ほぼ同時期、日本におりながら北朝鮮の政府発表だけを資料に、見事なまでに経済破綻と独裁体制の本質を分析した玉城素氏の業績を考えるとき、小田氏の余りにもナイーブに平壌の「ショーウインドー」を信じ込んだ迷妄は批判されても仕方があるまい。<中略>
(付記)雑誌「論座」2003年1月号に、小田氏は「私と『朝鮮』との長く、重いつきあい」という文章を寄せている。人間は私も含め、誤りを犯す生き物である。そして、誰しも誤りは恥ずかしいもので、それを隠そうという気持ちになっても仕方がない。だから、小田氏が「北朝鮮に対する判断は、情報不足による誤りだった。そして、当時私はアメリカのベトナム戦争を初めとする世界戦略に反対していたので、それに対抗しているように見えた第3世界の国々に共感があり、つい評価が甘くなってしまった。」という文章を発表したら、この人は私とは立場が違うが、公正で立派な人だと評価しただろう。また、全くこの問題について沈黙を守ったとしても、『内心、自分の判断ミスを悔やんで発言できないのだろうな』と思い、特にそのこと自体を攻撃する機にはならなかっただろう。
しかし、論座のこの文章は余りにも無責任な、反省のかけらも見出せない、あえて言えば、中立を装って自己弁護に終始したものである。
小田実の『なんでも見てやろう』は、バックパッカーたちのバイブルにもなったが、彼は「(左翼なら)なんでも信じてやろう」の教祖でもあった。弟子の辻元清美の反省の態度はどうであろうか。
◆辻元清美 『へこたれへん』(角川書店) p119−120
しかし今から思えば、この会議も冷戦的思考から抜け出せていなかったように思う。確かに、韓国民主化問題には熱心に取り組んでいた。一方、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の実態についてはあまり言及されなかった。韓国=西側の体制を批判する人は、北朝鮮=東側に対しての見方は甘かったようだ。同時に東側を非難する人たちは、韓国の軍事独裁体制を容認していた。<中略>
私は、これからはこの呪縛から解き放たれた考え方や運動が必要だと漠然と感じていた。私はこのような姿勢を「資本主義」対「社会主義」という構図ではなく、「いいものは、いい」「悪いものは、悪い」是々非々で評価する「ありのまま主義」と言っていた。
自分の信じていたものは棚に上げて、師匠・小田実が取り仕切った国際会議を「他人事」のように批判している。韓国のことは「大韓民国」と書かないのに、いまだに北朝鮮を「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)」と断り書きするのは、なぜなのだろうか。いくつになっても、青春の「原点」、心の「ふるさと」は消えやらない、ということなのか。
■参考サイト:
民族時報 第876号(99.3.1):金大中氏救出運動と韓統連(11)
「韓青」の機関紙 キョレンサラ:第13号 女性国際戦犯法廷
■追加1:ピースボートはどうして朝鮮半島に近すぎるのか
朝鮮半島にあまりにも近すぎませんか、ピースボートさま(2005/7/6)
大空のサウラビ:辻元さん、朝鮮総連から万景峰号クルーズ許可電話に猿のように歯を剥き出し号泣!(2005/10/21)
■追加2:日本国憲法は朝鮮半島のモノ
Peaceboat:憲法9条改定に反対する日韓同時集会を開催。11月2日、韓国ゲストと共に記者会見を行います。
たらたら日録:[無防備地域宣言運動]風物詩の裏側(2005/11/4)
朝日:改憲反対、日韓の市民団体が集会 「9条は共有財産」(2005/11/3)
日本国憲法の公布から59年たった3日、改憲に反対する市民団体が各地で集会を開いた。自衛軍の創設を明記した自民党の憲法草案が公表された直後で、ソウルと東京では日韓のグループが合同で「9条はアジアの安全を保障する共有財産だ」と訴えた。
ソウルの日本大使館前には、戦争犠牲者や市民団体代表ら約40人が集まった。挺身(ていしん)隊問題対策協議会の尹美香(ユン・ミヒャン)・事務局長は「日本の憲法に口を挟むのは内政干渉だという人もいるが、戦争被害国として再び戦争が起こらないよう予防するのは当然」と話した。<中略>
さいたま市で開かれた旧総評系労組などによる護憲大会には約4千人が参加。ピースボートの櫛渕万里・共同代表が憲法9条について「東アジアに平和と安定をもたらすメカニズムとして機能させられる」と話した。
■追加3:北川明、辻元清美、小田実
大日本赤誠会愛知県本部:辻元清美の追加情報
辻元清美
奈良県出身で小田実(総連スパイ)が主催する「被差別民サークル」に加盟し、内縁関係にある情夫、北川明(京大赤軍出身・元日本赤軍EU担当兵、翻訳作戦失敗によってスウェーデンから強制送還され入獄、出獄後に小田のサークルに加盟)と出会う。北川が第三書館を小田らの後援によって設立後、取締役として出版に関係する。その後小田らの反日謀略を形にすべくピースボートを計画し、市民運動を装い金儲けと反日活動をする営利団体の株式会社ピース・イン・ツアーを設立し取締役に就任する。北川が日本赤軍経済路線の日本代表として様々な反日団体や過激派と連帯し、それらの交渉係と広報を担当。ピースボートを実現するため土井たか子の筆頭秘書五島昌子(安保の樺美智子とペアーで北川と縁が深い)を頼って社会党に接近、社会党の女性の集いではすべての前座を任せ実績を作らせた。
口癖「私は日本に生まれた事が恥ずかしい 私は地球人になりたい」
辻元清美と赤軍・北川明の「仲人(なこうど)」は、小田実なんですね。
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