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記事 : 他:見慣れぬ素材を料理する為には経験が必用だ 
07年05月29日(火)


ネットの時代には「知識量・記憶力」よりは「適応力・応用力」の方がずっと大切 Life is Beautiful

これ、反語的になってしまうんですが、「適応・応用」を可能にするだけの 「知識量・記憶力」は当然持っているとして、という意味合いなのです。


最低限の基礎知識が存在している上に、より自主的な「気づき」が 存在するように、「バランス良く献立を立てる」能力が存在している場合に、 主食、主菜、副菜を基本に食事のバランスをとる、という事を掲げる「健康 づくりのための食生活指針」のようなものが有効性を持つように。

いつぞやの某氏の「リンク規約」の話と同様に、解説付きでないと子供達には 見せられない文章ではありますよね。「基礎部分」を持っているのは「当たり 前」という省略が有るのだよ、という部分は言葉にして出して置いた方がいい 様に思えました。まあこの方のBlogを「興味深い」と認識する人間には、 そんな物は必要ないのだけれど。



例えば、厖大な蔵書を持つ図書館の目録から、自分が必用とする本を探し 出すという行為は、「自分が必用としている情報がどの本に存在していそ うか」という事をかぎつける能力と、「図書館に目録として構築されて いる知識体系のどこに必用な本が存在するのか」という事をきちんと認識 出来る能力が存在している事を前提としています。
それを読んだときにそのアルゴリズムのシンプルさに感動し、 「機会があったら自分でも書いてみよう」と心にブックマークを しておいたのである。
かぎつけられるだけの力(それがどの文脈に属するものかを的確に判定 できるかどうか)は、図書館を使いこなす為の当然の前提になります。 「適応力・応用力」の方がずっと大切というのは、図書館で本を探した 後の部分の話になります。

「そこに存在しているものの素性」をかぎつけられるだけの力が何によって 得られるのか、という事についての認識は、中島氏を含む凄まじく切れる人達 と普通の人達とでは異なるかもしれません。また、見たことのないものが目の 前にある時に、それに食いつくだけのモチベーションが存在するかどうか、 という事の方が、一般的に言ってより大きな要件になっているのかもしれま せん。(それは、その人が所属する会社とポジションと仕事によって、差が 出そうですよね。プログラム放棄組の私のような怠け者にも、先日この人が 書いた「囓ってみた」発言はなかなか堪えたわけだけれど)


というわけで、プログラム放棄組の料理猫による料理の話
「見慣れぬ素材を料理する為には経験が必用だ」

基礎が無い状態で自由度を高めたら崩壊が起きた、という割合身近な例として 「食生活の崩壊」というものが有るのです。

かつては「一汁三菜」というのが、「当たり前の献立」として捉えられていて、 毎日それを作り出す為にみんな頭を痛めていたのです。それに加えて1985年に 厚生省(当時はそういう名称だった)が「健康づくりのための食生活指針」 という形で、「1日に食べる食品数は30」という事をアナウンスしました。

これは、栄養のバランスを良くするために数多くの品目の食品をとりましょう、 という方針のもとに、目安数として「30」が使われたのですが、「1日に食べる 食品数は30」の本質が「バランスを良くするための多品目」である事を見誤った 人が多数出てしまいました。

食事が提供するのが「材料の品数」と「材料の栄養素」だけでは無い事が失念 され、「品目を合わせる」為の献立づくり(数を合わせるために無理矢理何か を加える・何種類の野菜を使っていますという食品に頼る)が行われたりした 為に、結局「献立を作る」事そのものがめんどう・苦痛な作業になりすぎて 放棄される、といった様な弊害が目立ってしまいました。

結局2000年に改訂された新しい食生活指針では、「主食、主菜、副菜を基本に 食事のバランスをとる」という形で、方向がアナウンスされる事になりました。

でもこれも、当然ながら「多数の食品を使って献立を立てる」事が前提なの です。「1日30品目」という弊害をもたらした具体的な数字が消えている だけで、なんら実質は変わらないと、厚生労働省はコメントしています。


ところが食生活・食習慣の確立というのは、「自分のものとして身につける」 という訓練過程を必用とするものなのに、既に「主食、主菜、副菜、汁物」と いうものを中心とするバランスのとれた献立づくりの手法の伝承は、家庭内 では途絶えてしまっていたようです。

「あなたは勉強だけしていなさい(ご飯は私が作るから)」、という親に育て られた世代は、そもそも料理をする機会が少ないまま成人してしまっていたり するので、バランスが取れた献立を自分で作る事ができなくなってしまって いる人達がたくさんいるのよ、という怖い話を妊婦さん達に栄養指導をして いる栄養士さんが教えてくれました。

包丁の使い方や、野菜・肉・魚などの特徴、調味料のかげんなどの「知識」を 得て、それを献立として作れるだけ覚えられれば、あとは品物を入れ替えたり する「応用」に使える沢山の料理がWeb上で探せるから、「お母さんとして子供 にちゃんとした食事をさせたい」、と認識する妊娠栄養指導はいいきっかけに なるし、「献立つくりもコツがわかればそんなに面倒じゃないのよ」、 って励ましてるのよね、とその人は言っています。

親元にいるうちに学ぶ機会が無くても、今は「学ぼうとすれば様々な手段は みつかる」のだが、働いてしまうと忙しくてもう学ぶだけの余裕が無い、と いう人達が多いそうです。そういった意味で、任天堂DSの「初歩から音声付 きで手順を解説する自習料理ソフト」などは、非常に学習用として興味深い でそうです。

確かに「あなたは勉強していなさい」タイプの母親に育てられたら、料理は 身に付かない可能性は高いですよね。その後に独立してフルタイムで仕事を して、なおかつ生活も維持するという事になったら、新たに料理を初歩から 覚えるのが大変だというのは、言われるまでもなく判ります。単品料理は 作れても、一週間分の献立になったらそう簡単に立ち向かえるものでは ありません。

まあいざとなったら、「一週間のバランスがとれた献立」をそっくり提供して いるサイトを探して、何も変えずに全部の料理を作るという事も可能ですし、 それに慣れたら自分で材料を工夫する事だってできるわけですから、そんなに 悲観しなくてもいい話に思えますが、それを始める「きっかけ」と「意欲 の継続」は大事だと思います。

何かを学び始める場合に、特にその初めの部分が「つまらない」事は多いの です。単純な、面白みの無いことの、繰り返し。技術の習得の初期にはよく 失敗もするのだけれど、それに対して返ってくるのは普通一般に「叱責」。 料理はその点、割合に「上手くカリキュラムを組めば、初歩レベルでもそれ 相応の満足が得られる」幸せな分野です。

食習慣は長い期間自分に付いてまわるものですし、それ自体が自分の身体を守る ための有効な手段になるものです。子供時代に身につけられなかったにしても、 「遅すぎる」事など無いのだ、という視点で「肩肘張らずに」、「バランスの 取れた献立づくり」から学んでみて欲しいな、と思ったりします。それが自分 だけの為のものであっても、「出来る」と楽しいですよ。


私は料理を作るのが好きです。
自分の庭で野菜などを作っていると、複数の調理・保存法を知っていないと、 「せっかく育った野菜をむだにする」、「同じ料理ばかりであきる」という事 が起きてしまうので、私は料理のレシピを探し回る人でもあります。常に新し い料理のレシピにくいついていますし、遊びに来てくれる人達が持ってきて くれる材料を横目に「晩ご飯は何にしようかな」を楽しむひとでもあります。

出張で○県にきてるんだけど、という事で普段見慣れない食材が送られてきた りもします。ツンツンとつついて見て、頭の中とストレージの中のレシピを かき回し、どんな風に料理しようかなぁ、あの材料の替わりに使ったらどう かなぁ、などと思いを巡らすのもまた楽しいものです。「作る量が多くない か?」と言われますが、ご愛敬という事で。

そうそう、選択の為の第一条件は、もちろん「食べてくれる人の好み」です。 美味しい料理というものの目的は、私の場合「楽しんで食べてもらう」事で すから。

ネットの時代には「知識量・記憶力」よりは「適応力・応用力」の方がずっと 大切、というのはつまりはそういう事なんじゃないのかな。

見慣れぬ素材をもらった時に、沢山のレシピを自分があらかじめ持っていなく ても、その素材について一定の判断が出来れば、それに使えそうなレシピは Webを使って探せる。そしてそれから食べてくれる相手の好みに合わせて素材 を料理に仕立てる部分が一番大事。新しいレシピが使えそうなら、それを 使って作って見ようよ、と。私には、記事はそんな風に読めました。


中島氏は、本当にプログラムに関して鼻がきくひとで、腕もある人なのですが、 何より多分本質的にそれが「好き」なのだと思います。シェフの見事な手際 を眺められるというのは、楽しい物ですよね。そう言えば、Linuxカーネルの 作者のLinus・Torvalds氏も、「それが僕には楽しかったから」と語っていま したよね。

それを語っている人達には、それを可能にするだけの基礎が有り、恐らく それを可能にしている才能が有るのだ(10年以上も前に読んだ論文のアル ゴリズムを引き出してきて使ってみているという事からそれが窺える)、と いう事を認識した上で、私はこの記事を「モチベーション」の作り方、として 食べさせていただきたいと思いました。


それにしても … 私がここで扱っているのは、学問・仕事として得た 「知識量・記憶力」が使えない分野だし、「適応力・応用力」というのも 発揮しにくいなぁと、改めて思いました。私がここで使っているのは「言い 換え能力」だけだし(変な物を選別する能力は付加的なものですので)、 そういう意味でどう見ても「そもそも無謀だ」という周囲の見解は適切 だよなぁ、と再び思いましたね。

でも、「獲得した知識が消えない」、という特質(記憶力)が私の最大の 資質です。それは私が「日本語のテキスト」をサンプリングして、言語として 身につける事を可能にしてくれました … その続きで、日本語のテキストは どれだけ有っても誰のじゃまにもなるまい、とでも思おうかな。

いえいえ、ご心配なく。子供達が読んでいてくれるだけで、十分に私は報われ ていますから。



「新型インフルエンザ」は、非常に事態の展開が早いです。
まず記事の日付を確かめ、必ず表紙で最新情報を見てくださいね。









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