絶対零度-Returns-
記者名:アスラン  開始:04年02月15日  全記事:46  アクセス数: 2/ 3/ 13236


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ツイッター (ツイッター) - 10年08月15日(日) 12:47

■7−4想像力_
  04年12月17日(金) 21:50
もし日本でテロが起きるとしたらどこだろうか。
起こしやすいかどうかを無視するなら、赤坂見附もしくは溜池山王近辺の地下鉄、
品川から新横浜の間の新幹線、巨人阪神戦の東京ドーム、夏休みの東京ディズニ
ーランドなどは大きな効果があるだろう。
いや「大きな効果」というのはなにか客観的で適切な表現ではなかった。
そういうところでテロが起きれば、阿鼻叫喚の大惨事になるということだ。

私は通勤に地下鉄を使っており、赤坂見附も溜池山王も通過する。
特に赤坂見附と溜池山王の間は、いつも不思議なほど混んでいて、満員の状態に
近いことが多い。
丁度いわゆる「三バカ」が人質になって、世間の顰蹙をかっていたころのことで
ある。
その日も私はほとんど身動きの取れない状態で、その銀座線に乗っていた。
ある駅でドアが開き、さらに乗客が乗ってきた。
そのとき、車内に強烈な香水のにおいが立ちこめた。
それは、明らかに日本人の体臭には合わない、ねっとりしたくどい、よく言えば
官能的な香りだった。
私はこのにおいをよく知っていた。
アラブを行き来していたときに、よくかいだ、あちらの男達が好んで付けている
香水だった。

私は首だけ回して、入り口の方を見ると、数人向こうに帽子を目深にかぶってい
たが、それでも明らかにアラブ人と分かる彫りの深い、そして豊かな髭を蓄えた
男がいた。
いや、それだけなら、別に珍しいことではない。
私が気になったのは、その男の振るまいが明らかにおかしかったからだ。
まず顔全体に脂汗をかいていた。
目は飛び出しそうに充血し、ぎょろぎょろと忙しく動いていた。
息は荒く、ひゅーひゅーという音が聞こえそうなぐらいだった。

彼は何をあんなに過緊張しているのだろう。
よく見ると彼は、茶色の大型の紙袋を両手で胸の前に大事そうに抱きしめていた。
その時私はある思いに捕らわれて凍り付いたのだ。
まさか、爆弾?ガス?
いやそんなばかな。
考えすぎだ。
しかし、その男のただなら様子は、「自爆するタイミングを待っているテロリス
ト」そのもののように見えた。

この混雑している車内では、他の人たちからはほとんどその男の姿は見えていな
いだろう。
偶然近くにいる私だけが、目をぎらぎらさせながら、大きな紙袋を抱えているア
ラブ人を見ているのである。
私はどうすべきだろうか。
テロリストがいると叫ぶ?
まさか。
確証もなく、この身動きの取れない車内で叫んでも、ただ頭のおかしい男がいる
と苦笑されるのがおちだろう。
いやもし本当にテロリストだとしたら、そして日本語が分かるとしたら、そうす
ることは彼の決断を早めるだけかもしれない。

電車は次の駅に近づき減速をし始めた。
自分だけ逃げる?
次の駅で停まるまでなにも起きないとすれば、それが一番穏当な選択かもしれな
い。
しかし彼がもし本当にテロリストだったらどうなるのだ。
自分だけが駅で降りて助かったことに私は大きな後悔をすることになるに違いな
い。

ではどうする?
私は男の方を見た。
彼は唇だけ動かし、何事かを唱えているように見える。
コーランの一節だろうか。
これから彼が起こすことに対する、神の加護を求めているのだろうか。
電車はホームに入った。
私は決断しなくてはならない。
どうする。
どうする?

扉が開くと意外な事が起きた。
その男が逃げ去るように飛び出していったのだ。
私はその男があるいは「爆弾だけ」残して去ったのかと思い、男を目で追ったが、
彼は紙袋をしっかりと抱えたままだった。

そしてドアは閉まり、電車はなにごともなく走りだした。
私はそれでもしつこく動く電車の中からその男を追っていた。
そして視界が遮られる瞬間、私はすべてを理解したのだ。

男は、男は…。
トイレに駆け込んでいった。
緊張ししているテロリストに見えたその男は、体調が優れず、(おそらくは)便
意を我慢している男だったのである。

その瞬間私の頭はたちまち冷静になった。
そうさ、テロリストの訳がないじゃないか。警備の警官だらけの駅に、いかにも
テロリストのような格好をして、テロを起こす奴などいるわけがないじゃないか。
しかし先ほどまで私は、信じ、迷い、恐れていたのである。

私は真実を知り、自分が自分の想像力に裏切られていたことに気づいた。
その脱力感、滑稽さは…。
私が最近の大部分のプロレスを観る時に感じずにはいられないものである。

オトナになってからプロレスを楽しむには才能がいる。
それは見えてしまった物を見えないままにすます才能。自分に嘘を突き通す才能。
なんて悲しい才能なのだと私は思う。
いや、いや違う!
プロレスがそういう物ではなかった時代も本当にあったはずだ。そう信じたいと
もどこかで思っているのだが…。

最後に一応謝ってくか。すまん、誰か分からないアラブの人。

〜 STRONG STYLE 〜 夕刊プロレス3173号(2004/12/17)掲載






コメント更新: 10年08月15日(日) 12:47 / コメント数:1 / 参照投稿TrackBack(6)
ツイッター(ツイッター) 10年08月15日(日)



■7−3 命日
  04年05月09日(日) 18:38
「窓側なんです、すみませんね」
男の声がして、反射的に私は膝を少しずらした。
目の前を浅黄の衣と異国の花のにおいが通っていた。
あ、このにおいはと思って、隣に座ったその人の方を見ると、彼も私を見ていた。
「やあ、久しぶりだね」と男が笑顔を見せながらいった。

そう確かに彼とは以前一度会ったことがあった。
といってもたった3分前のことなのだが。
私が自分の座席を探して通路を歩いていたとき、彼は通路を逆に私に向かって歩いてきたのだ。私は袈裟姿の彼を見て少々大げさに通路を譲った。私が飛行機に乗った国も、これから向かおうとしている国も僧侶が大切にされている国であることを知っていたからだ。私は彼らのようになにを信仰しているというわけではないが、その国の文化はリスペクトしたいと考えている。
「ありがとう」と彼がそういって私とすれ違ったときに焚き染めたその香のにおいがした。

さて、私は彼にこのように「再会」したわけだが、実は困ったなとも思っていた。私は知らない人と話すのが苦手なのだ。だからこうした旅先の乗り物では、私はたいてい自分の周囲になにか結界のようなものを張ったようにして、座っている。しかし何しろ彼とはもう「知り合い」なのだから、そうしているのも失礼かもしれないとも思ったのだ。

「どこから来たの?」
え?
「あ、ああ、東京です、日本です」
彼はふわりと私の結界の中に入り込んできた。まあ思えばそれは彼の商売でもあるのだ。うだうだ考えていた自分がばからしくなった。
「あなたは、タイの方ですか、それとも?」
「私はネパールに住んでいるよ」
「バンコクではお仕事だったんですか?」
仕事という言葉に少し違和感があったが、ほかの単語が思い浮かばなかった。

「私もトランジットだったんだ。香港から帰る途中だよ。総会があって」
「総会って、宗派のですか?」
「そうだね。そいえば、私は日本にも行ったことがあるんだ。浅草、京都、奈良…」
「それも『お仕事』ですか?」
「そうだね、いい経験になった」
「よほど重要な地位についていらっしゃるんでしょうね」
なにか阿るように聞こえるのがいやだったが、私はなぜか自分の感じたことを素直に口にすることができた。

「いやいや、歳を取っているだけだよ」
彼はさらりと答えた。そしてこう続けた。
「私はね、中国人なんだ。本当は」
「え、それではどうして」
「文化大革命は分かるね?」
私は小さく叫びそうになった。
「ええ、もちろん。それでお国を出られたのですか?」
「中国にいたのでは長くは生きられないのが分かった。だからやっとの思い出逃げ出したんだ」
「それでネパールですか…」
「いや、はじめはチベットに行ったんだ」
「チベット、ですか?」
私は記憶を搾り出した。チベットは中国に侵略された国家だ。文化大革命のころには、それこそ何万人もの僧侶が殺され、寺院が破壊されたはずだ。彼は危険なところから危険なところに移動したのに過ぎない。

「チベットはもっと危険だったのではありませんか?」
「そうだね。だけど私の仲間がそこにいたんだ。手助けをするためにそこに行く必要があった。結局あまり役にはたたなかったが。たくさん、本当にたくさんの、死ななくて済んだ人が死んでしまった」
それは、大変でしたね、としか私に言える言葉は無かった。
そんな話をしながらも、僧侶の顔は穏やかで笑みが浮かんでいるようにも見えた。
「大変だったのは死んだ人々だ。私は生かされたんだ」
私は生かされたんだという言葉に、その表情の理由が分かったような気がした。

その時、シートベルト着用のサインが点灯し、機体がランディングに備えて降下し始めた。
彼は言った。
「私の寺に遊びにいらっしゃい」
「ありがとうございます。でもカトマンズーには二日しかいないんです。すぐに帰らなくてはならないので。おじゃまできるかどうか」
「きっと会えると思うよ。地図を持っているかな」
彼は私の渡したガイドブックの地図におおざっぱに指を指した。

「えっ。ここのお寺の方なんですか」
それはカトマンズーでもっとも有名な寺院だった。
「たくさんある僧坊の一つに過ぎないよ。私はそのどこかにいる」続けて彼はこういった。「君とは縁があるような気がする。きっと君はやってくるだろう」
私はたぶんもう会えないのだろうなと重いながら、「ご縁がありましたら」と答えた。

次の日、私はタクシーを雇った。
「正しい観光客」として、私は彼が属しているという「高名な寺」にも訪れた。しかし僧坊は無数に存在しており、彼がどこにいるのかを知ることはできないように思えた。一つ一つ尋ねるには時間がなかった。もう日が暮れようとしていた。私は運転手にホテルの戻るように命じた。
車は狭い道で人波に遮られて止まった。その時、私はあの香のにおいをかいだような気がした。
窓の外には僧侶達が歩いていた。私はあわてて窓を開けた。そこにいたのは…。

そこにいたのは彼ではなかった。しかし、私はその小柄の僧が身につけている缶バッチの写真に視線が釘付けになった。それは間違いなく「彼」の写真だったのだ。
私は小柄な僧に尋ねた。
「あの、済みません、この方は?」
僧は怪訝な顔をしたが、それでも誇らしげに答えてくれた。
「私達のグルです。ご存じですか?」

通された部屋の向かいに、にこにこ笑っている彼が座っていた。
彼は、「やあ、また会ったね」と再び言った。
「あなたの写真を身につけているお弟子さんと偶然会ったんです。ご縁があるようですね」
「分かっていたよ」彼はうなずいて答えた。

花の香りのするお茶をいただきながら、しばらく世間話をした後、彼はこんなことを私に言った。
「私は君にある人の言葉を伝えたかったんだ。君がその言葉を必要としているならまた会えるだろうと思ったよ」
「言葉ですか」
私には彼がなぜそのようなことをいうのか、想像もできなかった。

「私が日本に行ったことがあることは話したね」
私は飛行機での会話を思い出していた。
「私が日本に行ったとき、東京から京都へ新幹線、だったっけ?に乗ったんだ。その時、私の隣には大きな日本人が座っていた。そう、とても大きな。彼は腰を前にずらすようにして座っていたが、それでも頭ひとつ分は背もたれから出ていた。私はあんなに大きな人を見るのは初めてだったよ」
私が大きな人といえば「あの人」のことしか顔が浮かばなかった。

「別に話をすることもなく、座っていたのだが、しばらくすると彼は私に向かっていった。吸ってもいいですかと。彼の手には葉巻があった。そこは喫煙席で、彼は私に必要などなかったのだ。だけど彼はわざわざ聞いてくれた。そこで私には彼がどんな人か分かった。それをきっかけに私たちは話し始めた」
あの人らしいなと私は思った。

「京都に近づいた頃彼は私にいった。あなたは人を助けるお仕事をされてますよね、と。私はそうだと答えた。宗教家の役目は死んだ人の供養ではないと私は思うんだ」
その通りだと私は思った。
「彼は私にこういった。もし日本人にあなたが会ったら、そしてその人が助けを必要にしていると思ったら伝えて欲しいことがあります。私は日本では少しは有名なんです」
僧侶は私の目をまっすぐ見直して続けた。
「私には君は助けを必要としているように見えた。だから、私は話しかけてみた。君は自分の殻に閉じこもりたがっているように見えたけどね」

私は…。
確かに、私は逃げてきたのだ、日常から。誰にも助けを求めるわけにはいかなくて、短い間でも現実から目をそらそうとして旅行に出たのだ。
彼は続けた。
「君に彼の言葉をあげよう」
私は素直に頷いた。

「裏切るよりは裏切られたほうがいい。だけどあきらめる必要はない。きっと夢はかなう」

はっとした。
全部を聴き終わらないうちに、私の目の前は霞んできた。
もう僧侶の顔も涙でにじんで見えなくなった。
彼はこの世の物ではないほど優しい声でいった。
「おや、効き目があったようだね」

私は胸につかえたもの、苦しめたいたものが涙とともに流れていくのを感じた。そして思い出したのだ。今日はそうやって生きたその大きな人の命日であったことを。

夕刊プロレス2953号(2004/5/9)



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■2−4 プロレスのショウタイ
  04年05月09日(日) 00:13
実は私は、週刊プロレス2月2日号の表紙を見ながら、「幸せな 老後」というテーマでエッセイを書いていた。

しかしその原稿をそのままの形でみなさんにご覧いただくことは 永遠にないだろう。なぜならその主人公が死んでしまったからだ。
私には書けなくなってしまった。

もっと正直に言うと、その訃報を聞き、自分の心のどこか奥の方で信じざるえなくなるまでの短い間に、私はプロレスを妙に遠くから見ている自分に気づき、驚いて筆を止めたのだ。

私は決して熱狂的なファンというわけではない。しかし人生のかなりの時間をプロレスと過ごしてきたのは間違いない。
今更なのだが、彼の死によって、今まで気づかなかった私にとってのプロレスの意外な正体が少し分かってしまったのだ。

プロレスは私にとって長編小説であった。

ジャイアント馬場を主人公とする、力道山、アントニオ猪木、フレッド・アトキンス、ブルーノ・サンマルチノ、フリッツ・フォン・エリック、ザ・デストロイヤーといった優れた脇役を配した、人生と同じくらい長い小説だったのである。

その物語は、神話であり叙事詩でありロマンスであった。
その物語は、ファンタジーであり、ミステリーであり、SFですらあった。
なによりも最近では、狭いマーケットで熾烈な競争を繰り広げる経営者たちを描いた企業小説であったというべきかもしれない。

しかしそれがどんなものであれ、主人公が死んでしまえばたいていの小説は終わるのだ。そして続編があったとしてもほとんどの場合不出来である。
私の見るプロレスはこれまでとは全く違うものになってしまうかもしれない。

夕刊プロレス1096号(1999/2/4)掲載


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■7−2 監死
  04年02月15日(日) 20:14
久しぶりで入った中華料理店は閑散としていた。
中華料理店といっても、ラーメンとかチャーハンとか日本料理になっているようなものだけを出す小さな店だ。
奥のテーブルで女が二人話し込んでいる。近くを走り回っているのはどちらかの子供だろう。
私はとりあえず一番近くのテーブルに座った。椅子はパイプと薄っぺらなシートでできた安っぽいもので、腰を下ろすと座面に貼ってあっためくれあがったガムテープが尻にいやなかんじで当たった。
私は壁に貼ってあるメニューを探した。
タバコの煙か油か分からないが、茶色くなった短冊に汚い字で書いてある。
すでにあまり気乗りがしなくなっていたが、昔よく食べていたものを注文することにした。
別の席でしゃべっていた女がいやな音を立てて椅子を引いて立ち上がり、のろのろとこちらに近づいてきた。どうもこちらの女が店員だったらしい。
「ご注文は?」
「え、いや、みそラーメンを」
女は厨房に向かって「みそラーメン一丁」と注文を通した。中から返事はなかった。しかしまもなく野菜を炒めるような音が聞こえてきた。誰もいないという訳でも無かったらしい。
女はまた自分のいたテーブルに戻り話し始めた。
「でも本当に困っちゃうわ不景気で」
「お宅は場所もいいし、結構混んでいるじゃない、昼とか」
「昼だけじゃやってけないのよ、それに昼も減ってきたし」
ごとっと目の前にどんぶりが置かれた。
オヤジが持ってきたらしい。年格好からいっても夫婦二人の店なのだろう。予想通りの汚い調理服でなにか見てはいけないものを見てしまったような気がした。
おまちどうも言う気がないらしい。
オヤジはまた厨房へもどるのかと思ったが、私のすぐ横のテーブルに座り、競馬新聞を読みながらタバコを吹かし始めた。不愉快な臭いが流れてくる。
私は半ば諦めて、レンゲでスープを一口すすった。
これは…。
いやおいしいと思ったわけではないのだ。ただ同じだと思ったのだ。私が15年前に入ったときと同じ味だと。私はそのころはこの味が気に入ってほぼ毎週のように食べていたのだ。そしてもう理由も覚えていなかったが、いつの間には立ち寄ることがなくなった。最寄り駅のすぐそばにあるのに。
女の声がまた聞こえてきた。
「どうしてウチははやらないのかしらね…。昔は結構忙しかったのよ」
「不景気なんだからしかたないわよ」
そうねえ、と女が店員が同意するのを聞きながら、私は突然狂喜のような笑いの発作に襲われそうになった。
こんな簡単な答えになんで彼らが気づかないのかがおかしくなったのだ。
違うよ、違う。教えてやろうか!
15年前、この近くにはラーメンの食べられる店がほとんどなかった。だが今はどうだろう。少なくとも2カ所の行列ができる個性的なラーメン屋がある。その味のベースは豚骨だ。みそラーメンが喜ばれたのはもう相当昔のことだ。店の内装も割とお金がかけれられていて、店員は若く、少々鬱陶しく感じることもあるが、挨拶ははきはきと気持ちいい。その一方であなたたちは15年も何の進歩もなく、今となっては大しておいしくもなく流行からもはずれてしまったものを他と同じような値段で売っている。しかもこんな小汚い、生活がにじみ出てきてしまっているような店で。
足を運ぶものが少なくなっているのは当然だ。当たり前じゃないか。
いやもちろん私はそんなことを口にすることもなく、黙々と麺を口に運んでいった。しかし全部食べる気にはなれなくて途中で店を出ることにした。
店を出て、もう一度だけ振り返った。その古びた看板はなにか懐かしいもののように見えた。そしてもう二度とくることはないだろうなと思ったのだ。

私たちが早くも'Death Watch'している長州のWJもそういうことなのだと思っている。

夕刊プロレス2869号(2004/2/15)掲載

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■7−1 あなたに似た人
  04年02月15日(日) 15:06
どこかでお会いしたことがありますよね」
その言葉が日本語だと私の脳が認識するまでに少し時間がかかった。久しぶりで耳にしたからだ。
いつもの私なら、このようなところで日本語を聞いても、何も聞こえなかったように歩み去るだけだ。なぜならたいていの場合、こんなところで日本語で話しかけてくるのは、無防備な日本人の旅行者が持っている「何か」を欲しがっている人びとだけだからだ。
それでも私が立ち止まってしまったのは、その発音が不自然なほどに自然だと感じてしまったためだ。
振り返るとこの町では珍しい色白の女が立っていた。女は私の目をまっすぐに見ながらもう一度同じ言葉を繰り返した。どこかでお会いしたことはありませんか。
現地人のような服装をしていたので分からなかったが、よく見れば彼女の顔立ちは確かに日本人だった。
この町で始めて見る日本人。
「えーと、どこでですか。私はこの国に来たのは初めてなので」
私は旅行をしていても、誰かと話すことはほとんどない。だから「ない」と答えればたいていすんでしまうはずなのだが、その時はなぜかそう答えた。
「私はここが始めての外国なんですよ」
そう女は言った。
初めて!この国が。
イタリアやフランスなどではなく、この暑くて不衛生で治安も良くないこの国が彼女にとっての始めての海外。
さらに女は続けた。
「今日でちょうど3年目です」
この国に、しかも初めての海外旅行で、ここに住み着いて生活をしている?
私は彼女の顔をまじまじと見てしまった。聞きたいことはたくさんあったが、相手が話さないことを聞くことは私にはできなかった。彼女は続けた。
「昨日もここを通ったでしょ。そのときから気になっていて。知っているのに思い出せなくて」
「たぶん人違いですよ、あんまり知らない人と話せないんで」
「話したことはないの。でもどこかで絶対に…」
女はそういうと、なんでこんな気持ちになるのかしら、とつぶやいて、うつむき加減にした顔をゆっくりと右にかしげた。
その横顔を見たときに私ははっきり分かったのだ。どこで彼女に会ったのかが。ワタシモカノジョヲシッテイル。
しかし私はそれを話していいものかどうか迷っていた。
なぜなら…。

リングの上に二人の男がいた。
主人公はこの二人であったが、本来ならもう一人重要な男がいた。それは彼等の偉大な師匠である。あえていえばその死である。
物語がこうしてまた始まるためには、彼らの師匠のために15年という時間が必要だった。亡くなり、さらに数年、彼らは師匠の言霊に呪縛されていた。
ゴングが鳴っても二人が動かないように見えるのには、だから理由がある。
動かないのではない。動けないのだ。
彼等を隔てていた言霊が自分たちの熱で溶けきるまで動けなかったのだ。
二人は昔離れ離れになり、それぞれの場所で自分たちのプロレスを育てた。
一人は生まれた土地を選んだ。しかしそれは肉を切らせることを厭わない猛者ばかりの過酷な場であった。一人は新しい土地を選んだ。そこは言葉の通じない敵に囲まれた一部の隙も見せられない息詰まる戦場であった。
しかし二人には分かっていたことだ。自分の身体に組み込まれた本当のプロレスの遺伝子がいずれこうして呼び合うことを。それが同じ遺伝子を持っているものの定めであった。
体が共鳴する。体が共鳴する。体が共鳴する。
そして二人は…。なにか懐かしいもの愛おしいものを探るかのように、それでも荒々しく組み合った。

本当は私はその女のことを、女の顔を知っていた。
ただ話していいものかどうか迷っていただけだ。
その女は…。
少々気の毒で私からは言えなかったが、その女の顔は私に似ていた。
彼女は鏡の中に私の顔を見ていたのだ。
そうしてある意味私に毎日会っていたのだ。
彼女と私はDNAをかなりの部分共有しているに違いない。数万年に遡る人類の歴史の中のどこかで、運命の偶然で同じ系統樹にいたことがあるはずなのだ。
一人は女になり、一人は男になった。
一人は日本を離れ炎天のアジアでたくましく生活をし、一人は平凡な日常からやっとの思いで一時的に逃れ、恐る恐る町を歩いている。
そしておそらく数百年の時間を隔てて、本来いるべき国とはちがうところで二人はこうして出会った。
その時女が不意にいった。
「あなたは私に似てるのね」
私はなにか言わなくてはと思ったが、うまく言葉にできなかった。ただその女の切れ長の眼に映っている自分を見つめていた。そして次に会うのは何百年後なのだろうとぼんやり考えていた。

夕刊プロレス2855号(2004/2/1)掲載

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